追悼、サー・ボビー・チャールトン

 イングランドサッカー界のレジェンド、ボビー・チャールトンさんが逝去されました。

 私がサッカーの「ワールドカップ」を知ったのが66年大会。その大会でイングランドは優勝し、チャールトンさんはチームの大黒柱でした。当時の私はまだ子どもでサッカー知識がないに等しく、得点した選手以外の活躍についてはまったく認識できていませんでしたので、正直、チャールトンさんがどれだけ素晴らしい選手かは理解できていませんでした。

 成長してサッカーを理解できるようになってから当時の映像を見た時に、今さらながらという感じでチャールトンさんのプレーの素晴らしさが理解できるようになりました。イングランド流に言うセントラルミッドフィールダー、今ならボランチなどというのでしょうが、これまたイングランド流に言うボックス・トゥ・ボックス・プレイヤー、すなわち守備側のボックス(ペナルティエリア)から攻撃側のポックスまでを縦横無尽に行き交う選手として、要所で常に的確で力強いプレーをしていました。放たれるシュートは「キャノン(大砲)」と呼ばれるほどの威力がありました。

 66年大会の決勝で対戦したのは西ドイツ(当時)。ピッチで対峙したのが若手で最も注目されていた逸材、フランツ・ベッケンバウアーでした。当時の映像を見たとき、その若き天才ベッケンバウアーが「翻弄されている」と感じるくらいチャールトンさんのプレーは冴え渡り、後に「カイザー(皇帝)」と呼ばれるまでになるフランツのプレーは、常に後手後手に回っていました。

 その4年後、メキシコ大会の準々決勝で対戦したイングランドと西ドイツ。4年前の雪辱を期した西ドイツでしたが、円熟の境地に達していたチャールトンさん率いるイングランドに2-0とリードされます。この時点で勝利を確信したイングランドのラムゼー監督は、高地で高温という環境下、決勝まで勝ち進むことを見越してチャールトンさんをベンチに下げます。

 ところが、4年前同様、この試合でもチャールトンさんの後塵を拝していたベッケンバウアーが、まるで呪縛がとれたかのように躍動し始めます。そしてついに後半20分過ぎ、彼自身が追撃のゴールを決めてしまいます。勢いづいた西ドイツはさらに終了10分前くらいにゼーラーの得点で追いつき試合は延長戦に。最後はこの大会で得点王になったゲルト・ミュラーのゴールで西ドイツはイングランドに大逆転勝利を挙げたのでした。

 「なぜチャールトンを交代させた」と、ラムゼー監督は非難の集中砲火を浴びたました。この大会を最後にチャールトンさんは代表から退き、イングランドは次の74年大会の出場権をポーランドに破れて逃し、その後、しばらく低迷期に入ります。チャールトンさんのようなセントラル・ミッドフィールダーを擁した66年当時のようなチーム作り…という幻想から抜け出すのに、イングランドはかなりの時間を要しました。

 今でもイングランドのサッカーファンは、かつてのチャールトンさんをイメージさせるようなボックス・トゥ・ボックス・プレイヤーが大好きです。皆さんがよく知る選手でいえば、ポール・スコールズスティーブン・ジェラードフランク・ランパードジョーダン・ヘンダーソン…。いま旬の選手ならジュード・ベリンガム。皆、プレーのイメージはチャールトンさんのそれを彷彿させます。

 サーの称号を受けるほどの人物にもかかわらず、温厚で理知的な人柄は多くの人を惹きつけました。彼と接すれば自ずと「リスペクト」という心理が湧き出てきました。来日の際、私の友人が宿泊先のホテルにアポ無し(そもそもアポなんて取れるわけがないのですが)突撃を試みた際、フロントを通じて「部屋までおいで」と自室に招き入れてくれたという信じられないエピソードがあります。

 これで66年優勝チームの主要メンバーはほとんど天国のピッチへ旅立ってしまいました。W杯史上初の決勝ハットトリックを成し遂げたジェフ・ハーストさんがまだご健在なことが救いです。