本田圭佑さんが次期日本代表監督に名乗りを上げて話題になりました。本田さんは選手としては一流の経験がありますが、指導者資格を持っていないため正式な選考においては候補にすら入ることができません。しかし「資格うんぬんより実際に何ができるかだ」というのが本田さんの主張の趣旨です。
指導者資格は、非科学的、非論理的な指導をなくし、学術的にも実践的にも理にかなった体系的指導が普遍的に実施されるよう設けられています。知識も実技も経験知も、ある水準に達していることが必要であると設定されているものです。人を育てるための理技の基準となるものですから、私も基本的には必要なものだと思っています。
ただ資格には常に「実力」という問題がつきまといます。立派な資格を有していても、指導現場で有能に働けるかといえば、必ずしもそうではありません。反対に資格は何も持ってはないなけれど、豊富な知識と経験知とリーダーシップを持ち、とても有能な活動を続けている指導者もいます。

本田さんは、後者であればいいだろう、というわけです。一理あります。指導者資格取得の過程には医科学的な知識から技術、戦術、組織マネジメント理論まで、指導者として必要な事項が多角的に用意されています。しかし「今、ここで、こういう事態になった場合に、どのように振る舞い、何を実行すればいいか」といった現場の実践力は現場の場数で学んでいくしかありません。大切なことはその現場力だろうと。
確かに、私の身近にも、立派な公認資格をあれこれと持ってはいても、展開が少し想定外になっただけであたふたして、見るからに「テンパって」いることがわかるダメ指導者いました。講習会に出て新しい概念を身につけてくると、一時期、そればかりをくり返し実施して「何でこんなことばかりやるのか」と選手や保護者から苦情を受けた指導者もいました。いくら資格を得たとしても、それを自分の武器にするだけの器量=現場力がないという指導者は実際にいるわけです。
指導の現場力は、指導対象の年齢が上るほどに高いものがも求められます。自分の指示に「はいわかりました」と納得させ、同時に結果もともなわせることは、レベルがあがるほど難しくなります。小学生のうちは面従腹背という形でごまかせても、中学生、高校生になれば納得できない指示に反論したり、指示に馬耳東風でプレーしたりする選手も出てくる。
一番気楽なのは、幼児や低学年と楽しく遊んでいればいい、という指導です。優しいパパや気のいいお兄さんのように楽しく遊ぶ以上の何も求められないので、これほど気楽なことはない。もし立派な資格をあれこれアピールして有能を誇示するような指導者であっても、実際の活動は幼児や低学年と戯れるような仕事しかできていないのであれば、それは「そういう仕事しかできない」「そういうレベルの現場力しかない」人材と思っていいでしょう。
自己紹介にあれこれと資格を並べ立ててアピールする指導者であっても、実際の指導力はわからないのです。そもそも資格をアピールして仕事を取らねばならない状態にあるということは、どこの組織も人材不足で四苦八苦している現在、どこの組織からも求められていない実力ということでもあります。

