同意のある、なし。

 巷を賑わしている男性有名人の女性問題。サッカー選手にまで飛び火しています。

 嫌がる相手、拒否する相手を無理やりに…なら完全アウト。社会的地位や立場を利用してそうならざるを得ないような状況に追い込んだ果てに…というのも完全アウト。別の要件で会うようなふりをして巧みに飲酒や薬物接種をさせ前後不覚にした末に…も完全にアウト。ケースは様々に想定できますが、つまるところ「嫌です」という相手に、あるいはそう言えない状況に追い込んだ相手に無理やり行う行為は全て犯罪。

 しかし、今、挙げたように明らかに拒否があった、あるいは拒否できない状況だった相手に対する行為ではなく、よくある男女のお付き合いの中の成り行きに関することはどうなのでしょう?お誘いに同意した上で異性と同席し、一定時間、親密な時間を過ごし、その先に起きること…に関しては。

 「それ以上のことはダメです」という相手の意志を確認するには「いいですか?」と問わねばなりません。そのやり取りがあればいいのでしょうが、地球上全ての人類の男女関係において、あらゆる行為のたびに「これ、いいですか」「はい、いいですよ」という許諾を取り合うことは、非現実的に思えます。人間の行動など「その時の状況で、雰囲気で」ということも多々あるでしょう。

 しかし、そういう「曖昧さ」が問題の原因の一つとも言われます。特に男性は「状況」とか「雰囲気」を自己中心的解釈しがちなのだと。「そうだと思った」というのは勝手な推測なのだから、きちんと確認すべきなのだと。そうなのでしょう。男女は所詮、他人で、同じ場面でも違うことを考えている可能性があるから、やはり行為の一つ一つを確認し合い、できればそれらを証拠として記録しておくという関係が、安心、信頼のパートナーシップということになるのでしょう...が…。

 そういえば、ゴルフ界のレジェンド、タイガー・ウッズの全盛期、毎日のように色々な手段を通じて近づいてくる女性への対処として、細々と取り決めが書かれた「ウッズと親しく付き合う場合の契約書」なるものを交わしていたという話を聞いたことがあります。男女の関係の中で起きたことをスキャンダルのネタにされないための防衛策だったようです。契約書を交わしてサインしてからのお付き合い、つまり、場合によっては「ああ、これは契約にありませんから」などと言い合う関係なんて、なんと味気ないものだと思ったものです。

 私のように女心をまったく理解できていない野暮なジジイは「一定の線を超えるようなことが可能性として想定される場には、そもそも出向かなければいい」「何やら先行きが怪しい雰囲気になったなら、自分はその意志かないことを態度や言動で明確に示せばいい」と思うのですが、それを言うと「女性をさらに傷つける考え方」と反論されるのだそうです…うーむ。

 かつて、露出の多い挑発的な衣装でファンの前に出てきたアーティストが「触られた」と訴えた事件がありました。「そういう格好で手の届く場所で挑発的なポーズをとるのもいかがなものか」という批判がありましたが「何を言う、どんなことがあったとしても触ればアウトなのだ」「衣装やポーズを批判するのは筋違い」と大炎上したようです。「触りたくなる」ような格好で「触りたくなる」ように仕向けられても、絶対に触ってはいけないのだと。「そもそも、触りたくなるような…というのは触った側の勝手な思い込みで、着ている本人にはそういう意図はまったくないのだ」と言われてしまえば、ぐぅの音もでません。

 さて話を戻して、二人だけという状況で、行為の一つひとつに許諾を取っていることが客観的に証明できないものを「あの時は言えなかったが、実は嫌だった」と過去に遡って主張が認められるとなると、ほとんどの男女間の行為が異性の申し立て一つで犯罪になる可能性があります。そうなると、庶民も異性とお付きあいするにはタイガー・ウッズ並みの予防策が必要になるのでしょうか?

 そもそも有名人のスキャンダルに関してSNSで社会正義を大合唱している人たちや、スキャンダルを書きたてている週刊誌の記者、それをけしかけている雑誌の編集長は、既婚者、未婚者を問わず、普段の生活の中で自分の異性パートナーに対して毎日、あらゆる行為にいちいち許諾を取りつつ接しているのでしょうか? 彼らと過去、接したことのある女性たちは「実はあの時は同意してなかった、同意の証拠はない、無理やりこんなとをした…」と訴え出てみてはどうでしょう?