追悼、金子勝彦さん

 8月20日に元テレビ東京アナウンサーでサッカー実況のレジェンド・金子勝彦さんが逝去されました。

 1968年から放送された「三菱ダイヤモンドサッカー」は、野球全盛だった日本で唯一、ヨーロッパを中心に海外サッカーを放送してくれる番組でした。前後半一週ずつ、各30分にダイジェストされた試合を二週間かけて一試合観るという、今では考えられない方式でしたが、海外サッカー情報が皆無に近かった当時のサッカー少年は、皆、それこそ目を皿のようにして「全集中」して食い入るように観戦したものです。

 その実況を担当したのが金子さんでした。「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか」という決め台詞とともに始まる金子さんの実況は、岡野俊一郎さんの、他に比較しようのない最上級の解説とともに、何十年を経ても当時のサッカー少年たちの心に深く深く刻まれています。

 放送開始当初はイングランドリーグの放映が中心でしたが、映像は届くものの何も資料がない。金子さんは自身でさまざまな情報を収集すると同時に、イギリス大使館を訪れて事情を説明、イングランドのサッカーに関するレクチャーを大使館員から受けました。D・ブリークリーさんという方が親切に対応してくれて、選手やチームに関すること、サッカー周辺の文化について丁寧に教えてくれたと言います。

 金子さんはそのレクチャーを自らまとめ、放送の資料作りをしていました。実物を見せていただきましたが、その日の対戦チームの紹介と選手それぞれの特徴などが事細かに書かれた自筆(当時はPCはもちろんワープロさえありませんでした)の放送資料は見事なものでした。今なら番組スタッフがインターネットから抜き出した溢れんばかりの情報の数々をプリントアウトして揃えてくれますが、金子さんは全て自力で揃えていたのです。それらが体の芯まで染み込んで血肉になっていたのでしょう。

 時は経ち、私も縁あってプレミアリーグの解説をする立場になりました。イングランドリーグの流れをくむプレミアリーグの解説となれば、私の中では実況は金子さん以外には考えられません。当時すでに70代になられていたもののマイスペースで現役を続けられていた金子さんと、ついにコンビを組んで放送に臨むことができました。

 少年時代、心を踊らせながら画面越しに聞いていた声が、今、自分のすぐとなりで同じ画面を見ながら響いている...。あの感激は忘れることはできません。

  その後、金子さんとは放送で何度もコンビを組ませていだき、楽しく、充実した時間をともにしました。誰もが知っている有名チームの放送を担当することもありましたが、さほどメジャーではないチームの試合で、チームの歴史やレジェンドの活躍、ホームタウンの風土などを紹介していく放送が好きでした。金子さんと私以外ではできないことと認識していたからです。

 今、サッカー実況と解説は大きく様変わりしました。ファンと同レベルで大騒ぎする人がいれば、細かな専門的要素をひけらかすように話す人、風説レベルのことを常識のように語る人...いずれにせよダイヤモンドサッカーがそうであったように、一回の放送が終わると技術、戦術といったピッチ内のことだけでなく習慣、風土、宗教、政治など、サッカーを支えている文化全体に興味が持てるようになる実況はありません。

 岡野さんが亡くなり、金子さんが亡くなり、サッカーの実況放送に一つの区切りがついたのかもしれません。私は、あのダイヤモンドサッカーの実況解説をリアルタイムで聞けた世代であったことを本当に幸せだったと感じています。

 最後にエビソードを一つ。

 いわゆるドーハの悲劇と呼ばれた94アメリカW杯予選。放送を取り仕切る電通によって、開幕戦、韓国戦など、誰もが注目する試合はフジテレビ、テレビ朝日、 TBSなどに割れ当てられ、金子さんの所属していたテレビ東京は最も視聴率の望めない「最終戦」を割れ当てられたのだそうです。

 ところが、ご存知の通り決着は最終のイラク戦で決まることに。日本代表のW杯初出場なるか、という歴史的放送をテレビ東京が担当することになったのです。

 ダイヤモンドサッカーの視聴率は、当時「計測不能」と表示されるほどとても低かったのだそうです。1%にもならなかった。それでもサッカーファンのためにスポンサーが支えテレビ東京も頑張って放送を続けていました。アメリカW杯予選最終のイラク戦が巡り巡ってテレビ東京の放送になったのは、長年、低視聴率にもかかわらず地道にダイヤモンドサッカーを放送してきたことをサッカーの神様が評価してのことかもしれなかった、と金子さんは語っていました。