動画のシャワーを浴びて育つ子どもたちの将来

 連休中に行きつけの美容院で髪を切っていると、親に付き添われた子ども客が次々に入店し、計3人が私の左右に座りました。この店では、子どもが髪を切っている間、DVDなど映像ソフトを用意します。

 私の左右で一斉に子どもたちの視聴が始まりました。小学校3年生くらいに見える男の子はDVDではなく自分のスマホで何かを観ています。3人とも揃って軽快な音楽とともに画面が目まぐるしく変化する動画を観ています。

 その間、美容師は手際よく髪を整えながら時折、何かを子どもに語りかけますが、返ってくる返事は上の空。返事をしたとしても「うん」とか「そう」とか、聞かれたことに対する最低限の返答だけ。長さなどを確認するために「これくらいでいいかな?」と問いかけても気が付かず、美容師に「お~~い」とまるで遠くにいるときのように大きな声をかけられています。

 子どもたちが動画に没頭する姿はもう日常でありふれたものになりました。もう乳児のころからスマホ動画は欠かせない育児アイテムになっているようです。

 大人の都合としては、動画は子どもをおとなしくさせるための実に便利な道具です。youtubeを検索すれば、ありとあらゆるジャンルの動画が配信されています。子どもが興味を引きそうな動画は無限に用意されていますから、そこからに適当に選んで見せておけばいいのです。

 美容師さんと生身の人間同士で向き合えば、学校の様子を話したり、家族と出かけた場所について話したり、愉快な友達のことを話したり...そんなことから記憶の整理やコミュニケーション力は整えられていくはずです。

 また、じっと鏡を見ながら美容師の手の動きを観察したり、切られていく髪と頭皮の感覚を感じたり、髪が床に落ちていく様子を見たり、鏡面に反転して写っている時計を見て実際に今、何時なのかを類推したり...非日常的な場面から想像力や空想力などが膨らむはずです。

 そんなことを経験しながら過ごす30分と、問いかけられても生返事しかせずにひたすら動画を見続ける30分と、どちらが子どもの「血の通った感性」を育むのでしょうか?...こんなことを嘆いているのは昭和のおじさんだけなのでしょうか(笑)。

 考えてみれば、今やいい大人たちこそ始終スマホに没頭していますよね。「そこで見なきゃだめ?」「もう少し我慢できないの?」と問いかけてみたくなるほど、皆さん、わずかな隙を見つけては中毒患者のようにスマホ画面を見入っています。

 歩きながら、自転車をこぎながら、赤信号で停車したバイクにまたがって、食べながら、映画やコンサートの開演寸前まで、そしてデートしていると思われる二人が向き合っているのに見ているのはそれぞれの手の中のスマホという場面は数しれず。

 木々に囲まれた気持ちの良いテラス席のカフェで、青空が広がる海辺で...「あのさ、せっかくだからここでは自分のいる空間を満喫しようよ...ここに来てスマホ見るてなら、わざわざこなくても自分のウチでいいじゃん!!ここに来た意味がないじゃん!!」と声をかけたくなること数しれず。

 美容院で脇目もふらずに動画に没頭して美容師の問いかけに生返事をしかできない子どもたちは、そんな大人になってしまうのでしょうね...。そんな大人ばかりになった世の中って、いったいどうなっているのでしょう? 

 「子どもの日」にふと考えるのでした。