追悼・坂本龍一さん

 坂本龍一さんの音楽の多くはシンプルなメロディーの繰り返しです。しかし、次の繰り返しには別のアレンジが加わり、その次の繰り返しではまたさらに違うアレンジが加わりと、曲が進むにつれて音の彩りがどんどん豊かになっていきます。

 単純な変化の足し算ではなく、1プラス1が3や4になっていく深みと広がり。それが「いかにも高度」という誇示や「いかにも複雑に手が加わった」という主張を感じさせない滑らかな流れで紡がれていく。

 細かいところまで気をつけて聞くと、ちょっとした不協和音の付け足しやわずかなテンポのずれでも独特の味をつけている。本物の天賦の才を持つ人とは、誰にも真似のできない唯一無二のことを、さりげなく、わかりやすく、美しく、豊かにやってのけるものなのだ、と感服し続けていました。

 坂本さんは時として、我々素人には難解な音楽もつくりました。うっとりと聴けるような音の連なりではなく、むしろ旋律や音程は不規則でそれが聴き手に何を訴えているのかがわりにくい。

 他のミュージシャンならすぐに聴くことをやめてしまうのですが、坂本さんが手掛けたことならそこに何かが潜んでいるはずだと、必死になって理解しようと聴き込む。そんな努力をさせてしまうほど、坂本さんが表現しようと試みてきたことは広く、深く、多様でした。

 坂本さんが生み出した音楽と坂本さんの発する言葉に触れていく中で知ることになった多様な音楽とミュージシャン、アーティスト、学者、芸術…。それらがどれだけ私の人生を豊かなものにしてくれたか計り知れません。

 その意味では、坂本龍一さんは私にとって単なるミュージシャンではなく、音楽という切り口から人間の創造性の豊かさを教えてくれた先生…本当の「教授」だったと思います。

 コンサートを通して行う体力がないので数曲ずつ収録して配信する、という話を聞いたときから覚悟はしていました。映画「怪物」の音楽を全編にわたって完遂できずピアノ曲2曲にとどめたと聞き、それほど悪いのかと気になっていました。しかし、これほど早くその時が来るとは思っていませんでした。

 残された多彩で豊かな名曲の数々は、この先も繰り返し私の人生を彩ってくれることでしょう。それでも、「音楽・坂本龍一」と知ってワクワクするあの気持ちはもう永遠に味わえません。彼が何かを発言したと知り、今度は何を語ったのだろうと知的好奇心が刺激されることも、もうありません。

 まだ才能の宝庫には多くの「唯一無二」が眠っていたであろうに、それがもう我々に届くことがないと思うと残念でなりません。

 訃報からしばらくは関連する情報がメディアで繰り返されましたが、それも落ち着きはじめたので改めて偉大な音楽家の喪失について考えました。折しも、坂本さんの遺志をついで神宮の森伐採に抗議する運動が実施されようとしています。偉大な音楽家反戦反核、自然保護などに関してもリスペクトすべきリーダーでした。