群れる羊と状況判断力

 「~しようぜ」とは中学生がよく発する言葉です。何かをするときに仲間を誘うのです。仲良しで良いと思える一方で、自分一人では行動に踏み切れない不安の表れとも見ることができます。
 これから自分がしようとすることが適切なのか否か、よくわからない...そういう時に「みんな」がやることに従っていればいい、と考えることは日本人にありがちなことです。迷ったら自分で情報を集め、自分で考えて判断しようとせず、思考を停止して周囲を見回して同じ事をしようとします。
 サッカー少年でよくあることは、誰かが飲み物のボトルをある場所に置くと、次の子も同じ場所に置き、その次の子も置き...と続いて、同じ場所にズラリとボトルが並びます。そこが通路の真ん中であろうと、何であろうと、二番目の子からはまったく考えずに「右に倣え」をするのです。
 自分たのグルーブが主に活動する場所がどこで、そこから飲水に戻って来やすい場所なのかどうか、あるいは、そもそもボトルを置くのに適切な場所であるのかどうか...そんなことは何にも考えません。誰かのボトルが置いてある、ということが判断の基準になってしまうのです。
 このように、状況判断をせずに「右へ倣え」してしまう行動...取りあえず周囲を見てそれに合わせて行動するという「群れる羊」的な現象は、子どもたちに接していて頻繁に見られます。言うまでもありませんが、彼らは参照する人が間近っていた場合、無条件で同じ間違いを繰り返してしまいます。
 子どもたちには「今、自分は何をすべきか」ということをTPOに応じて考える習慣をつけさせねばなりせん。そのために必用なことは、まず大人(親、指導者)が強圧的な指導を止めることです。恐怖、威圧などで従わせる強圧的な指導は、子どもが大人の「顔色」をうかがうことばかりに意識を集中させ、本来の状況判断力を抑圧していまいます。極端な話、親やコーチが白を「黒」と言えば、子どもも叱られないように「黒です」と言うようになってしまうのです。「違うよ、白だよ」と言える環境でなければいけません。
 大人(親、指導者)が子どもの迷い、間違い、回り道を容認することも必用です。大人から見れば未熟で誤った判断を子どもがすることなど当たり前。それを頭ごなしに「違う!!」「オマエは間近っている!!」と押さえつければ、次から子どもは「どうせ否定されるのだからムダだ」と独自の考え、判断を働かせなくなり、大人のイエスマンに徹するようになります。思考停止してしまうのです。
 ブラジルW杯で日本代表が振るわなかった原因は「試合は運びのつたなさ」と言われました。日本の選手は試合の流れ、状況を察知して、その場に一番相応しいプレーは何か、を考え選択することができなかったのです。日本の選手たちが幼いころから「自分の頭で考える」経験が不足していたことが原因の一つではないかと私は考えています。
 ~しようぜ」と仲間を誘わねば行動が起こせなかったり、通路の真ん中に飲み物のボトルを「右に倣え」で平気で置いてしまうようでは、自分の頭で「試合の流れ」を察知する力など養成しようがありせん。私たち大人は、子どもたちがそのような行動をとらないよう、育てていかねばならないのです。
 怒って叱って、何が何でも自分のイメージ通りの行動をとらせてやる、という方法は、子ども思考停止を促進させて「つたない試合運び」の選手を量産するだけのバカげた結果につながる、ということくらいは認識してください....いいですか!!!、息子の個人コーチに熱心な説教好きのオトーさんたち(笑)。