理不尽に価値がある?

 先日、現役を引退した元サッカー日本代表内田篤人さんが、日本の高校サッカー(高体連)の環境を評価するコメントを発していました。日本の高校サッカーには「理不尽」が溢れていて、それを耐えた精神的タフネスが後に大きな力になる、という主旨でした。

 この「高校サッカーの理不尽な環境にこそ価値がある」という主旨のコメントは以前にも日本サッカー協会の重職にある人が発したこともあります。日本サッカーの中心に位置する人たちが、よりによって日本のサッカーの強みが「理不尽」にあるのだと堂々と発言することに私は強く失望しました。 

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 もし彼らが本気でそう信じているならば、日本サッカー協会が発する指導指針(日本サッカーの方向性を明示するスタンダード)の最重要項目をすぐに「理不尽を強要する環境の設定」に変更すべきでしょう。青少年の育成から日本代表の強化まで、全ての練習プログラムに「高体連で行われている理不尽な行為の推奨」を盛り込みべきでしょう。

 それが実現したら、全員丸刈りの日本代表とか、ユニフォームの背中に大きく名前を書いた日本代表とか、一番若い選手がグラウンド整備する日本代表とか、先輩の荷物を持たされる日本代表とかを見ることになるのでしょうか?挨拶の声が小さいからと罰走でグラウンドを回る日本代表を見ることになるのでしょうか?

 辛いこと苦しいことを経験した時に、その経験自体の非合理を指摘せずに、それを耐え凌いだ自分に満足感を感じたり、辛酸を舐めた日々を美化して思い出話にする傾向は誰にもあります。しかし、どう考えても論理的、科学的に破綻しているような行為を、価値がある、効果的であると公言することは控えていただきたいものです。