スポーツと暴力

 今年1月に大阪市立桜宮高校バスケットボール部の顧問による暴行事件が発覚して以来、スポーツ界の暴力、体罰の実態が次々に明らかになりました。調査やアンケートが行われる度に、スポーツ指導で行われている暴力の事例が数多く報告され、日本のスポーツ界に暴力が根強くはびこっていることがわかりました。
 メディアを中心に日本中で「暴力根絶」の声が高まりましたが、悪しき伝統は一向に改まっていないようです。最近も柔道の日本代表を輩出した大学で暴行事件があり、代表選手自身も暴行に加わっていたことがわかりました。高体連会長が校長を務める高校のサッカー部で体罰があり、会長を辞任することになりました。
 今年は過去にないほど「反暴力」の声が高まり、メディアでもそれが取り沙汰されているのですが、その一方で、そんな声には聞く耳を持たぬとでも言いたげなほど、性懲りもなくスポーツ現場での暴力は続いています。スポーツ科学が常識になった現在、科学の対極にあるような原始的な暴力行為が、日本ではなぜ無くならないのでしょうか。
 先日、朝日新書から上梓させていただいた『少年スポーツ、ダメな大人が子供をつぶす』では、そんな問題を採り上げてみました。
 なぜスポーツ指導者は暴力を振るうのか。なぜ、暴力を振るわれる側はそれを容認するのか。その問題を考えていくと、日本独特のスポーツ環境に行きつきます。私たちがスポーツに関して「当たり前」「そういうもの」思っていたさまざまな事情が、実は「当たり前」ではなく、日本独特の奇妙なものであること。そして、それが巡り巡って暴力を生み、容認する特殊な価値観を生んでいる...そんな視点を据えています。
 携帯でガラケーなどと言われていますが、ガラバゴス化は携帯だけでなく、スポーツ精神においても進行していたのです。
 例によってタイトルは出版社側が主導で決められたものなので、少し刺激的で、内容とは少しズている部分もありますが、お手頃な価格で読みやすく書いてありますので、ぜひ手に取ってみて下さい。