教師の質低下は、社会全体の倫理観低下の象徴?

 小学校の教師が同僚教師に暴言を吐き、恐喝し、暴行し、傷害を負わていた事件が報道されています。

 普段、子供たちに「イジメはダメ」「暴力は絶対にダメ」と指導している教師が、なんとその絶対的禁止事項を自ら実践していたというのですから、開いた口がふさがりません。しかもその手段たるや、激辛カレーを口にねじ込むとか、被害者の新車の屋根に登って踏みつけるとか、まぁまぁ不良生徒やチンピラヤクザもかくやと思わせるような悪質なものばかり。

 事件を起こした教師はその小学校から異動させられるとのことですが、そんな甘い処置でいいのでしょうか。私は暴行、傷害、強要、名誉毀損などの刑事告訴はもちろんのこと、教員免許は絶対に剥奪すべきだと思います。こうした人物を二度と教育の場に立たせるべきではありません。

 さて、事件に関して会見した校長の姿勢は、今の学校管理職の典型です。一校数年間の自分の任期の間は、とにかく何事もなく穏便に過ぎればそれでよい。多少のことは見て見ぬふりをして次の学校に異動してしまえばあとは知らんふり。定年まで無難に過ごし、教育委員会あるい専門学校の雇われ校長などなど、第二の人生が穏便に確保されればそれで「上がり」というわけです。

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 学校のグラウンドをお借りするスポーツ団体の代表という立場で、40年間も小学校、中学校、高校の校長、副校長とつきあってきましたが、上記のような傾向は年々、強まっています。以前は「自分の任期の間に少しでもよき環境の構築を」という情熱を持った管理職もいましたが、今は皆無に近い。判で押したように「前例踏襲」しかしない。

 だから、一旦、どこかで誰かが悪しき前例をつくってしまうと、誰が考えても「変だ」「おかしい」ということが延々と「前例踏襲」ということで受け継がれてしまう。どんなに論理的に矛盾したことでも「前からこうなのだから」と言われれば、「皆さんのよきように」と改善するこを放棄する。だから地域社会との関係でも、「顔役」を自認するような人物が「昔からこうだから」という前近代的な慣習を強要し続けることも容認してしまう。

 同じようなことが職員室でも起きているのでしょうね。十年選手のベテラン教師が、赴任一~二年の管理職よりデカイ顔をするなんてことがあるんじゃないですか?「昔からこうなんですから余計な波風てたないで下さいよ」みたいなイヤミ言いつつ。

 悪くても変でも矛盾してても「前例踏襲」して自身の保身しかできない管理職。小さな閉鎖社会を作り、閉じた論理で反民主的な人間関係を構築する教員たち。このように一般社会の常識、論理、倫理から乖離した組織の中で動く人間が、日々、子どもたちに向かって平然と道徳、常識を説いているのです。

 識者は、教員のなり手が減少する中、採用された教員の資質の低下が進んでいるといいます。そうでしょうか?。人間的に豊かな人物が教員を目指さず、他の職種に流れているのでしょうか? 私は、教員志望者に限らず、社会全体として倫理観、道徳観が低下している現象の一つと思っています。

 誰もが自分第一。物事を損得でしか考えない。人の目が届かず匿名性が確保されれば、平気で人間性に反することをする。自分が強者の立場になると、弱者の立場にある者に肉体的、精神的暴力を振るう。こうした誰もが持ちうる人間の「醜い部分」が、近年、あまりに露出しすぎているのではないでしょうか。