スポーツ指導も一般常識も同じ

 桜宮高校の暴力バスケット教師が摘発されて以来、まぁ次々に出るわ出るわ....スポーツ強豪校の暴力指導の数々。メディアの論調や識者のコメントでは「驚いた」というような内容が多いわけですが、もちろん、スポーツに少しでも深く関わってきた人間なら、そんなことは日常茶飯事であることをずっと知っていたわけです。
 今回は、手足を使った殴る、蹴るという形の「暴力」が採り上げられたのですが、そうした明白な暴行傷害行為を頂点として、「勝つため」という免罪符を勝手に掲げた数々の狂気の沙汰は、日本のスポーツ界に広く、深く、行き渡っています。
 どう考えても、それは一般社会の常識とは別次元の、限られた特殊空間の、極めて異様な出来事でしょう!!!!と断定できる奇妙な慣習の数々....それを「スポーツの世界では当たり前」というように容認していること....。
 例えば、たかだか13~15歳の青臭い少年の間で「先輩」だの「後輩」だのというバカバカしい線引きをして、15歳くらいのガキンチョが先輩ズラして威張りちらして、後輩に荷物を持たせたり、雑用などいわゆるバシリをさせて偉ぶっている世界。野球の某強豪校では、相撲界よろしく先輩に後輩の「付き人」があてがわれるのだそうです。17~18歳で付き人を従えて傍若無人をするわけですよ...間違いなくバかになるでしょう(笑)そいつは。
 皆がそろって髪型を丸刈りに強制する、などというのも狂気の沙汰。軍隊か囚人じゃあるまいし。盆暮れしか休まずに練習と遠征漬けにする生活などというのも狂気の沙汰。朝練習、午後練習、夜練習の三部制というのも、どうかしてる。いつ勉強するのさ。授業中は寝ているわけでしょ。~名物の~km走などという、ただただ辛さに耐えるだけしか意味のない活動なども、強豪校ではよくありますね。
 ともあれ、そうしたバカバカしく反社会的、非科学的な行為を「勝つためにはあれくらい必要」という根拠のない論理で納得してしまう世界があるわけです。正常な感性の人間では到底、耐えることの出来ないバカバカしい試練を乗り越えるからこそ、並みより上の成績を掴める、そんな論理でしょうか。
 そうした「異常でなければ人から抜きんでることはできない」という幼稚な論理の延長上に、殴る、蹴る、罵倒する、という非人間的な行為が容認されてしまう世界があるわけです。殴る、蹴るの暴力をしなくても、例えば、レギュラークラスしか熱心に教えないなどというのも、一種の暴力だと思いますね。レギュラーに遠い選手に「お前なんかとっくに見捨てているよ」という無言のメッセージを発しているのと同じですから。
 そのように考えていくと、強豪校のみならず、弱小校であっても、教員や指導者は、手足を出す暴力をしなくても、結構、日々、非人間的な行為を平気ではびこらせていることがわかります。今回の部活の暴力沙汰について聞かれた教師が「お前なんかヤメちまえ」と言うことがありますが、これもだめですかね」と答えている記事が新聞に載っていました。彼はそれでも自分は暴力を振るわない良心派と思っているわけです。「ヤメちまえ」と罵倒するくらい、普通でしょ、何でダメなの?と不思議がる感性なのです。
 スポーツの世界だから、一般社会とは別の論理が働いてもいい、ということはないのです。そのことを出発点にしないといけません。「どこまでが指導として許されるのか」などど議論するのは、実にバカバカしいことです。スポーツの世界で行われることは、町のど真ん中、公衆の面前で行われても何一つ異質ではないものでなくてはなりません。