学校スポーツの暗部

 大阪市立の高校でバスケットボール部の部員が顧問の体罰に耐えかねて自殺するという事件が起きました。
 体罰は日常的に行われていたようで、自殺した生徒の遺体の顔は、顧問の殴打で腫れ上がっていたといいます。「人の道」を解くべき教員が、たかだかバスケットボールのプレーうんぬんで生徒の顔が腫れるほどの暴行を日常的にを加える....。身の毛もよだつ出来事です。

 そもそも全国で活躍する中学、高校スポーツの強豪校の顧問は、というより相当数の体育教師は、もともと体育教育そのものに情熱を抱いて教員になどなっていない人が多いようです。彼らは体育の授業などどうでもよくて、「部活の監督」を志望していることが多いわけです。教育者というより、競技コーチになりたいわけです。
 そういう動機ですから、体育という教科を通して人をどう育てるか、ということより、部活の種目で勝つか負けるか、ということに血眼になるわけです。勝つためには人格を否定する罵声を平気で浴びせ、手も足も出す。朝、晩、休日と休む暇なく徹底した反復練習を課す。生徒が在籍するのはわずか3年間、その短い期間の中で、自分自身の栄誉欲のために毎年、毎年、結果ばかりをえげつなくどん欲に追究する。
 指導の対象は人として未熟なティーンエイジャーで、しかも「教師」という立場で成績評価、進路指導など生殺与奪を握っているから、ほぼ100%「本気の反抗」はなく、何でも言うがままになる。かくして学校という外部から遮断された城壁の中で、監督、顧問という名の暴君、帝王、人でなしがつくられていくのです。
 伝聞ですが、こんな脅しと腕力で青少年を従えるチンピラ暴力団のような教師であっても、全国で成績を挙げれば、教員として評価される仕組みがあるのだとか。もしそれが事実ならば、あまりにばかげたことであり、教育界の良識を疑ってしまいます。
 考えてみれば、陸上長距離やバスケットボールのアフリカ人生徒、サッカーのブラジル人生徒、相撲のモンゴル人生徒、卓球の中国人生徒....彼、彼女たちを「留学生」と称して「人買い」を行い、ただひたすらその場その場の成績だけを求めて止まない高校教師たちが闊歩しています。そんな現代の奴隷売買のようなことを推進しているのが「教育者」であることに寒気を感じます。
 競技コーチとして成績を残している「教師」が、実際に学校内の日常でどのような指導を行っているのか。それが「教員」として果たして相応しいことなのかどうか。「学校」という仕組みの外の人々はもっとよく知る必要があるでしょう。私はそうしたウラのウラを見てきているので、高校スポーツを観戦しても、大袈裟な感動を演出するTVの傍らで常に白け切ってます。