スポーツは純粋にスポーツ?

 安倍首相が平昌冬季五輪に出席するのか否か、自民党内でも意見が分かれているとか。韓国が従軍慰安婦の日韓協定をちゃぶ台返ししてきたことに対して、不満の意思を示すためだとか。
 周囲では「スポーツはスポーツ、政治は政治」と割り切って、との助言もあるとのこと。そんな中、幹部が「昔、日本に来たアメリカの卓球団がその足で中国へ行き、米中国交回復の大きな足がかりになった」として、いわゆるビンポン外交と呼ばれた過去の例を引き出し、「これから平昌があり、東京五輪、北京の冬季大会があり、という、アジアで大きな動きがあるので、普通に行けばいい」と語ったとか。
 「スポーツは政治に上手に利用するものなのだよ首相」...と幹部自ら言っているも同然のわけです(笑)。
 かたや北朝鮮。スポーツの実力ではほとんど予選突破できる選手がいないにもかかわらず、ミサイルの脅しと実現するはずもない南北融和を餌に、あたかも平壌五輪になるかのような演出を企てています。何でも、焼き肉みたいなネーミング(笑)の美女応援軍団が何百人と押し寄せるのだとか。選手チラホラなのに美女数百人。メディアはこぞって追いかけ、まるで彼女らが主役のようになることでしょう。
 これに関しても各識者は「政治とスポーツは別物としてほしいですね」。
 はて、この現代社会、スポーツは純粋にスポーツとして成立しているのでしょうかね。政治を筆頭として「スポーツ外のこと」を排除して、純粋にアスリートが何のしがらみもなく力を競い合うという図式が成立しているものってあるんですかね?。
 五輪がモロに政治の影響下にあることはもう隠しようがありません。サッカーのW杯を筆頭に、各種競技の世界大会も、政治、宗教、経済の渦の中で翻弄されます。2002年W杯が日韓共催になったのが典型的な例。
 プロだけじゃないですよ。高校スポーツの全国大会なんか、私立学校の知名度アップ、生徒募集の代理競争じゃないですか。あれを単に「~県代表チーム」として学校の固有名詞を出さないことにしたら、名門出場校と言われるところは、とっとと部活の支援やめちゃうでしょうよ。学校の名前がタダでメディアに取り上げられるからこそ、大枚はたいてグラウンドや照明やクラブハウスを整備して、成績オール1や2の生徒でも入学させちゃうんだから。
私立だけじゃないですよ。公立だって、スポーツで業績を上げた教員は校長など管理職になりやすいのだとか。そういえば、全国大会に優勝経験があって、今は校長、という人、何人かいますよね。ははぁ、だから「部活先生」と揶揄される、教員の本来の仕事をそっちのけでスポーツ指導ばかりに熱を上げるセンセイがいるわけだ。
 大学駅伝なんか、中継の間ず~っと学校の広告テロップ流しているのと同じだもんね。テレビCMの放送料金から換算したら、あんなに割のいい宣伝方法はないわけです。監督の年俸を出して、学生の学費タダにしたとしても、オツリは十分に来る。まぁ、専攻学科とか、授業科目とか、教授陣の顔ぶれとかではなく、TVで名前が連呼されたくらいで受験先に選んでしまうアホな受験生が多いということが実は最も悲劇的なんですけどね。