勝てばいいのか

 大相撲の騒動が世論を賑わせています。
 日馬富士の暴行、引退はともかくとして、そのウラに見え隠れする貴乃花親方とモンゴル勢、特に白鵬との確執は、相撲とは何かを考える上でとても大切な課題を提供していると思います。
 貴乃花親方の人生はそれこそガチンコそのもの。叔父の初代若乃花、父の先代貴乃花とも小兵ながら、どんな巨漢相手でも真正面で相手を受け止めガッチリ組んで真っ向勝負をしていた人。いずれも余計なことはしゃべらず、立派に戦う姿そのもので感動を与えてくれた人たち。そんな「相撲とは何か」を徹底して叩き込む家系に生まれ、自身もその教えを守り抜いて横綱に上り詰めたのが貴乃花親方。
 その貴乃花親方から見れば、横綱なのに下位力士相手に立ち合いでヒラリと変化したり、「カチ上げ」と呼ばれる危険な肘打ちをくらわしたり、ビンタのように張り手をしてから組んだり、完全に勝負が決まっているのにダメ押しで相手を土俵下に突き落としたり、といった「本来、横綱がすべきではない」ことを白鵬が恥も外聞もなくやってのけることに対して、「それは違う」と苛立ちを感じていたことでしょう。
 暗黙の了解で貴乃花親方の指定席となっていたバスの座席に白鵬が大きな顔をしてドンと座っていたら、いくら座席は指定で決まってはいないとしても、貴乃花親方の立場ならそうした日頃の鬱憤も積み重なって誰でもムカッと来るでしょうね。しかも白鵬はバス出発時間に遅れてのんびりアイスクリームを舐めながら歩いてきたとか。そんな態度を見せられたら、シャレじゃないけど「ナメとるのか!!」という気持ちになりますよ。
 白鵬は確かに歴代記録を更新して、勝ち数では頂点にたっているかもしれません。しかし、「オレが一番勝っているんだ」という奢りが過ぎますよね。「強けりゃいいでしょ」というごう慢さが過ぎる。だから処分力士の進退をあたかも自分が決めるがごとき発言をしたり、不規則発言で貴乃花親方を公然と批判するような出過ぎた行動を取る。
 こうしたことがまかり通るのも、白鵬を筆頭に幕内上位をモンゴル勢が占めているという実態があるのでしょう。「力士としてそれはないでしょ」としい言動、行動に対して厳しいこと言っても、彼らにそっぽを向かれたら興行的に厳しくなるという協会の事情もあるのかもしれません。
 相撲はレスリングやボクシングのようにルール内で勝てば何でも良い、という西欧由来のスポーツとは一線を画した格闘技です。品格などという曖昧模糊とした概念が幅をきかせているような世界。つまり、よくわからない世界。だけど、それが相撲。そもそも、あのチョンマゲ自体がどういう意味があるのか全然よくわからない。体重無制限性も極めて非合理的。あらゆるところに近代的合理性に反する現象が存在するわけです。しかし、ファンはそれを楽しんでいるわけです。
 モンゴル勢は、そうした伝統を表面的には守っているようだけれど、やはり芯から理解はしていない。だから勝って立場が強くなると、すぐに忘れてレスリングやボクシングのチャンピオンと同じように振る舞ってしまう。それに対して貴乃花親方は「相撲は勝てばいいというものではない」という伝統を守ろうとしているのでしょう。しかし現実に流されている人たちの間で孤立している様子。苦しい立場でしょうが、私としては頑張っていただきたい。ガチンコを実戦しつづける貴乃花親方の生き様、見事だと思います。