総合的な判断

 今、首相が何かというと引っ張り出す「総合的な判断」という便利な言葉。色々考えた結果です、という曖昧模糊とした表現、つまり、理屈なんて後からどうとでもつけられるんですよ、やっちゃったもん勝ちなのですよ、ということ。
 スポーツ界にもありましたね。この総合的判断という便利な基準。88年ソウル五輪ラソン代表選考。実質、代表選考のレースと位置づけられていた大会に、有力候補の一人だった瀬古俊彦選手が怪我で不参加。本来なら代表選考から漏れたはずなのに、陸連が総合的に判断して無理矢理に代表入り。しかし本番ではまったく活躍できませんでした。
 ジドニー五輪、水泳の代表選考。日本選手権で優勝した千葉すず選手が代表から漏れました。実力は文句なしだったのですが、言いたいことをズバスバ言う態度がオエラ方の気にさわり、生意気だということで代表落ち。これも総合的判断から、と言い訳されていましたた。
 相撲の小錦関。大関時代、過去の例からして十分に横綱昇進の実績を挙げたのに、横綱審議委員会は、かたくなにNGを出し続けました。ジイさん方の話し合いで決まるこの会議、ハワイ出身の小錦関を横綱にするのはマズイという雰囲気がミエミエでした。もちろん、昇進見送りの理由は総合的な判断。
 スポーツの世界で「総合的判断」が持ち出されて強引に決められてしまった事で「やっばり、それでよかった」と思われたことはほとんどありません。「なんだか納得いかないな~」という不信感が残った事例ばかりです。
 これが鉄砲やミサイル打ち込んで人を殺すときに、都合のいいように使われたら、たまりませんね。