日本の「お家芸」の踏襲

 リオ五輪のサッカー、グループリーグで敗退しました。
 多分、「コロンビアと引き分け、スウェーデンを下したことは立派」「進歩が見えた」「収穫があった』「あと一歩、悔やまれるナイジェリア戦」みたいな評価が飛び交うことでしょう。
 しかし、全体の印象として「よくやっている」「将来に期待は持てる」のだけれど、結果はともなわない...という試合はすでに日本の「お家芸」になっています。
 それをよく表しているのがA代表のW杯の試合です。98年フランスW杯大会ではアルゼンチンとクロアチアにともに0-1、「日本よくやった、惜しい」という声が多く寄せられました。2002年日韓大会ではトルコに0-1と惜敗しましたが、圧倒的にボールは支配したのに...と。2006年ドイツ大会ではオーストラリアに大逆転負けしましたが、後半35分までは勝っていたのに...と。0-0のクロアチア戦では決定的なチャンスがありながら「急にボールがきたので」とシュートミスした選手がいました(笑)。2010年南アフリカ大会でPK戦で負けたパラグァイ戦も「惜しい」試合だったと言われています。2014年ブラジル大会でもリードしていた試合を3分でひっくりかえされ、前半35分に退場者を出して10人の相手に勝ち切れませんでした。
 今回の五輪代表もまた、着実にこの「ああ惜しかった』「もうちょっと」というお家芸を踏襲したというわけです。
 みんなでパスを回して「チーム力』で戦う。耳障りの言い表現ですが、言い換えれば「誰が決定的な仕事をするか」ということがぼやけている。何となく「みんなで」攻めて「そのうち誰かが」得点していくれるだろう。というサッカー。だから負けるときも何となく「良くやっている」感じなのだけれど、決め手がないまま何となく時間が過ぎて、終わってみれば負けている。そして「可能性は見えた』とくる。
 そもそも世界の強豪国の大半は五輪なんかまったく重視していません。だって、こう言っては何ですが、あんなスウェーデンが欧州王者なんですよ。ロンドン大会では日本がスペインに勝ちましたよね。
 強豪国ではU-23なんてもうA代表で活躍しなければならない年代で、A代表に上がれず五輪代表あたりでウロウロしているような選手は基本的に相手にされないのです。だから国民的関心も薄い。
 FIFAではA代表の下はもともとU-20で、U-23という概念は薄かったのですが、五輪にもそれなリの選手を出してほしいというIOCの願望に応えた形で、半ば無理矢理に「五輪はU-23の大会』という規定にしたわけです。だから、そこで勝った負けたといっても世界の関心は薄い。
 そんな五輪に必勝を期して向かっている日本ですが、あいもかわらず「あと一歩」のお家芸。「可能性が見えた」という???の自己評価。これじゃぁW杯で10人のギリシャに勝てないはずだ(笑)。