カワイイ子どもの指導をしながらテロを思う

 現在小学3年生の指導をしています。プレーを見ていると、子どもたちは日々、上達してみるみる逞しくなっていきます。ですのでつい「子ども」というよりも「選手」として見てしまうことがあって、時々、「もっとできるはずでしょう!」と、厳しい要求をしてしまいます。
 ところが、ふと我に返って子どもたちの顔を見ると、まだまだあどけなくてカワイイ8歳、9歳。こんなカワイイ子どもたちに向かって俺は何を言ってるんだ...と自己嫌悪に陥るのです(笑)。試合を見ないでベンチで砂をいじって絵を描いたりしていても(笑)、本来そんなものなんですよね9歳の子どもなんて。出ていなくても試合を見て勉強しろ~なんてどやしている監督もいますけれど、そんなことできるはずないですよね、本来(笑)。
 さて、そんなカワイイ子どもたちと一日をすごした後に、耳を塞ぎたくなるようなニュース。ナイジェリアの過激派組織ボコハラムが10歳前後の少女に自爆テロをさせたいといいます。少女の体に爆弾を縛り付けて繁華街に送り込み、タイマーか遠隔操作で爆発させるのだとか。日本で言えば3年生、4年生くらいの子どもです。私が指導しているカワイイ子どもたちと同年代の幼い女の子たちが....と思うと、憤りで血が煮えたぎります。極悪非道と蔑んでやっても物足りない、地球上のありとあらゆる罵声を浴びせても物足りない、ケダモノ以下とはこのことです。
 彼らは、幼い子どもを爆死させて一般市民を恐怖に陥れるという人類史上、例のない「外道」によって、自分以外の全てを屈服させることができるとでも思っているのでしょうか。フランスで起きテロもそうですが、この手の手段を使う輩は一時的な洗脳、思いこみで目前の成果を求めて盲目的に行動するのでしょうが、そんなことを繰り返していって、最終的に彼らの描く究極の目的が成就するとでも思っているのでしょうか。西暦---年、地球は---に支配され....といような、SF映画のような未来がやってくるとでも思っているのでしょうか。
 そう考えると、彼らのやっていることの「戦略的未熟さ」がわかります。実現可能なことを緻密に練り上げて、巧みな戦術を駆使して成果を成し遂げていくという「科学」がそこにはありません。場当たり的に暴れて困らせているだけです。サッカーでいえば、優勝を狙うといいながら一回戦で相手の挑発に乗って2人も3人もレッドカードもらって、頭に血が上って全員攻撃を仕掛けてさらに追加点を奪われるようなもの。
 だから、そんな若者が暴れ出して、何の建設的成果も望めない暴挙に走ってしまうのはなぜなのか、という「そもそも」の原因を考え、そこに手を入れていかないと、こうした問題は収まりません。各国の首脳が一堂に会し、日頃の対立を棚に上げてテロ反対のデモ行進したことは、ある意味「人類も捨てたものではないな」と感じされましたが、あの列の先頭に立つ人々が実際はこの問題の根源を作っているという皮肉も忘れてはいけないでしょう。