タイブレーク、PK戦...。

 高校野球タイブレーク制を導入するか否かが議論されています。互いに譲らずに延長が続いた試合で、ある時点から無条件でランナーを置いて得点が入りやすくして、勝敗の決着をつけやすいようにしようとする方法です。絶対的なエース投手が連投するケースが多い高校野球で、選手の健康管理を考えての改革案ということです。
 サッカーも、最初は決着がつくまで再試合を繰り返していました。しかも当初は交代はなし。1960年代までは負傷退場しても人数が欠けたまま試合を続行していたのです。やがて交代が認められるようになり、近年では選手交代は重要な戦術の一つにもなりました。
 再試合の連続は、テレビ等メディアには歓迎されざるものでした。放送枠がめちゃくちゃになるからです。「再試合放送のため予定していて番組は後日に」ということが繰り返されれば、サッカー好き以外の視聴者は苦情を寄せ、商品ターゲットをスポーツ愛好者以外の層に据えている番組スポンサーも遠のきます。
 そのためサッカーはPK戦という方法を導入しました。そのことで、必ず試合の決着はつくようになりました。しかし、90分の試合で圧倒的に攻勢だったチームがPK戦で敗退する、あるいは劣勢のチームが守りに徹してPK戦勝負を狙うなど「本来のサッカーの技術、戦術による決着とはいえないのではないか」という批判も噴出しました。それでもPK戦はやがては「当たり前のこと」として定着し、今では「PK戦要員」と言われるGKまで現れるようになりました。
 野球のタイブレークに異を唱える人々は、サッカーのPK戦への批判と同じように、「野球本来の面白みをなくす」と言っているようです。当然です。好投する投手を攻略して二塁までランナーを進めることがいかに大変なことか....それがやすやすと許されてしまうのですから。
 しかし、スポーツルールとはその時々の社会の情勢と連動して変化するものです。最も顕著なのが、用具に関するルールでしょう。水泳でどんな水着を着ていいのか、というルールは開発技術の進化と密接に関わっています。サッカーでボールボーイがすぐにボールを渡してくれるのも、ボールの品質の均一性が保証されたからで、以前は試合開始時に使うボールを試合が終わるのまで代えてはいけなかったのです。ドービングなど、1970年代以前はまったく考えられてはいませんでした。
 野球にタイブレーク制が導入されれば、それこそタイブレーク狙いも出てくるでしょうし、ランナー二塁からいかにして決勝点を入れるか、ということに特化した強みを持つチームも出てくるでしょう。それが「やはり邪道だ」となれば、またルールの改正があるでしょう。
 テニスのサーブなど、当初は相手に「打ちやすい」ボールを出して上げる(サーブする)ものだったのです。錦織選手の対戦相手の200km超えの剛球サーブを見ていると、そんな話「ウソでしょ」と思いますよね。やがて「野球も昔は決着が付くまで再試合をしていたんだよ」と昔話をする日が来るのでしょう。