ペレが亡くなりました。今のサッカーファンには「昔のスーパースター」ですが、我々の世代にとってはまさに神のような存在でした。
私が初めて映像でペレの勇姿を見たのは66年イングランドW杯の記録映画「ゴール」でした。中学1年生くらいの時に、旧サッカー協会が狭い部屋を割り当てられていた渋谷の岸記念体育館にある地下のホールで上映会があったのでした。
まだレッドカードもイエローカードもない時代、危険なタックルに関しても基準がひどくゆるい時代、そして試合に交代すらない時代の話です(信じられないでしょう?)。
ペレは「どうしても止められない」選手だったので、悪質タックルの格好の標的でした。ペレにケガをさせてピッチから出してしまえばいい、とにかくペレを潰せと、いうのが相手DFの使命でした。
記録映画の中で、ペレの脚をめがけたタックルが映し出されました。一回目に蹴られた時、ペレはなんとか体制を立て直してボールを追おうとするのですが、すぐにまた二度目の反則タックルが同じ脚に激しく浴びせられました。以前から痛めていた膝を狙われたペレは立ち上がることができずピッチを去ります。交代がない時代、ブラジルは大黒柱を失い、しかも10人で戦うことになりの敗退します。
次の70年W杯からルールにカード提示が盛り込まれ、交代枠2人が認められるようになりました。ペレはすべての試合で大活躍しブラジルは優勝します。
この大会で、私が度肝を抜かれたペレのプレーがありました。準決勝のウルグァイ戦、左斜め後方から右斜め前に向かって送られたスルーパスに抜け出したペレが、ペナルティエリア直前でボールに追いつこうとした時、当時名GKとして知られていたマズルケビッチがエリアを飛び出してペレをストップしようとします。
次の瞬間、ペレはボールには触れず、ボールとクロスするように斜め左前方に走り抜けたのです。つまりGK直前でボールは右斜め前方向へ、ペレは左斜め前方向へ動く、という形です。
スルーパスに追いついたペレが右足でボールをコントロールすると想定してエリアを飛び出したGKは、目前でボールとペレが別々の方向に向かうのですから、何が起きたのかまったく把握できない状態で尻もちをついてしまいます。
ペレはGKを置き去りにして左に走り抜けたあと、素早く右にターンして(写真がその瞬間です)ゴールラインぎりぎりでボールに追いつき、角度のないところから大きく左に体をねじってシュートします。ゆるく転がるボールはしかし、反対側のポスト脇をわずかにかすめてゴールラインを割りました。
得点にこそなりませんでしたが、後に「ペレのD抜き」と称され語り継がれているプレーです。当時、私は(多分、すべての日本人が)一体何が起きたのかまったくわからず、スロー再生を見て「こういうことだったのか!!!」と驚愕したのです。
長いサッカー人生の中でさまざまなスーパープレーを見てきましたが、このペレのプレーを超える驚きはありません。
その後、クライフ、ジーコ、マラドーナ、 メッシ、ロナウドなど超人的な技能を持つ選手が現れ、彼らのプレーには「もしかしたらペレ以上?」と思わせられることもあります。
しかし、それらのスーパースターたちがペレが活躍した時代のルールやゲーム環境をでプレーしたとしたら...と考えると、やはりペレの偉大さは格別と思ってしまいます。
ペレは人格者でもありました。あれだれ毎試合のように反則タックルを受けたのに、興奮して取り乱すことはありませんでした。世界的な名声と莫大な財産がありながら、それらを誇示することもありませんでした。
ブラジルでは長らく大統領よりも認知度が高い人物でした。ペレと知らずに強盗をしようとした男が、ペレが帽子を脱いて「僕だよ」と笑ったら慌てて逃げ出したというエピソードもあります。
強盗に「いくらなんでもこの人からは奪えない」と思わせるだけの人物が、この世にどれくらいいるでしょう。全てが伝説になりました。