PL学園野球部の監督不在から考える

 PL学園野球部監督の受任者が不在で、野球部の存続自体が難しい状態になり、新入生の受け入れを中止することなったと報道されています。PL学園高校野球の強豪校で、多くのプロ選手を輩出しています。しかし前近代的な封建体質が色濃く残っていることもよく知られていて、近年では部内の暴力沙汰が相次ぎ、出場停止処分が繰り返され、監督も引責辞任していました。
 最初にこのニュースを知ったとき、実力者の監督を招いて甲子園に出場するばかりが高校野球ではないはず、と思いました。有志が自主自立の精神で顧問と創意、工夫しながら上達を目指し、試行錯誤しながら運営して心身共に成長する、それこそ学生スポーツの本来の姿だと...。事実PL学園では監督不在の間、野球には素人の教員が名目上の監督になり、生徒たちが自主的にチームを運営していたそうです。作戦、選手起用、采配などを生徒自身が行い、それでも地域大会の上位に進出していたということです。素晴らしいことです。ならば、その形式で部を存続すればいい...甲子園に出る、出ないなどに拘泥しなければいいのだ、と思いました。
 そもそも、顧問不在で運営に苦慮している運動部など、日本中いたるところにあります。監督が見つからないくらいで、部の活動を縮小したり、ましてや新入生の受け入れをストップしたりすることは、裏返せば「甲子園で勝てるような活動でなければ、野球をやっても意味がない」ということを公言してるようなもので、学生スポーツ本来の姿を否定する姿勢ではないかと思いました。
 ところが、詳しい事情を知って少し納得しました。学園側には、学園活動の根本であるPL教団の信仰を疎かにしたくないという意向があるというのです。PL学園にかかわるということは、そもそもPL教団の活動を理解し、実践することが基本。しかし野球部関係者は監督も選手も「野球さえ強ければいい」という考えで、信仰を疎かにすること甚だしいということなのです。そこで、今後、監督を引き受けるのなら、条件として教団の活動に真摯にかかわること、としたところ、「野球だけなら引き受けるけど...」と名だたるOB、関係者が一斉に辞退してしまったということだそうです。
 PL教団の教義は詳しく知りませんが、とても勇気ある決断だと思いました。学校名を売り受験生を増やすにはスポーツで活躍するのが一番の近道と、外国人留学生と称してアフリカや中国などから「人買い」をする学校がそこかしこにある昨今、基盤組織の根本を成す「教義」への真摯な姿勢が勝利至上主義より大切としたPL学園の考え方は注目すべきでしょう。