本田選手のFKから語学教育を思う

 ACミランの本田選手、見事FKを決めました。「オレが蹴る」とシャシャリ出てくるチームメイトと言い争い、もみ合う場面もありましたが決して譲らず、ゴール左隅に鮮やかな弾道を披露しました。
 まず、自分の技術に絶対的な自信がなければできることではありません。技術に自信があっても度胸がなければできません。自信と度胸があっても、仮に失敗した後にリカバーできるメンタルのタフさがなければできません。そして、それら全てが揃っていたとしても、その場の言い合いで相手をねじ伏せる語学力、会話力、そして「うるさい黙れ、オレが蹴るんだ」という気迫がなければできません。もちろん、「ここはホンダに任せようじゃないか」と仲裁に入った選手たちを納得させるだけの実績があってのことでもあります。
 話はすごく飛ぶようですが....幼児期、児童期からの英語教育が議論を呼んでいます。幼い頃から英語に親しむことで習得をスムーズにさせようとする「英語コンプレックス国民」の発想なのですが、日本語で理路整然と話す力が育っていないうちに外国語を学ばせても本物の語学力は身につかない、とする説もあります。私もこの説に賛同しています。
 本当の語学力とは、形式的な挨拶や自己紹介、あるいは旅行で買い物に困らない程度のものではなく、自分の主張を披露し、相手の言い分を理解し、議論できるレベルに達したものをいうのでしょう。その場合、言葉のやりとりだけできればいいのではなく、まず自分の中にある考えをしっかりまとめる力が必用になります。その上で時に説得する強さ、時に妥協する柔軟さなど、場に応じた振る舞いが伴って初めて「通じる」言葉になります。
 言葉は単なる「道具」であり、大切なことはその「道具」を使ってTPOに応じて何を伝えるか、という「中身」の問題、つまり自分の考え方、主義主張、メッセージを持っているかどうかであり、それが伴わない音声の反復訓練など空しい作業なのです。
 本田選手が多国籍選手の中で激しく言い合いながらFKの権利を死守した場面を見て、語学を活かすということの本当の意味を再確認しました。