メディアの報道姿勢と自分の解説を思う

 御嶽山の噴火では未だ安否不明の方々がいて、ご親族、関係者の心中を思うと何ともいたたまれない気持ちになります。そんな中、メディアの取材攻勢は遠慮なくご親族、関係者の心の中に土足でズカズカと踏み込んでいきます。

 知り合いから伝え聞いたのですが、犠牲者となった方の関係先に各メディアがどっと押し寄せて大変迷惑しているとのこと。業務中にしつこく電話をかけてくるので正規の業務関係の通話が滞る。同じ社員とわかると、仕事中にもかかわらずどっと群がって無理矢理にコメントをとろうとする。同僚がなくなって悲しみに打ちひしがれる中、必死に心にムチ打って仕事を遂行しているのに、心の傷口にゴリゴリと塩を塗るようなことを平気でしてくる。何よりも、他人の正常な営業を妨害しているのに平然としている。メディアには傍若無人に振る舞う特権があるかのような態度に怒りがこみ上げるとのことです。
 メディアにしてみれば、犠牲者の人となりを紹介したいという意図なのでしょう。「こんなにいい人が無惨にも犠牲者に....」などというストーリーがつくりたいのでしょうが、それがこの災害を報道する上で不可欠なものでしょうか? 「どんなお気持ちですか?」などとマイクを向けられて、「悲しい」「残念だ」以外の返答があり得るでしょうか?。犠牲となった方々の関係者が深い悲しみに沈むことくらい、人として正常な神経があれば誰でも容易に想像できるはずです。それを改めて確認するための映像や音声など必用ありません。そのわかり切ったことへの儀式的確認作業のために、心の傷口に塩を塗り込むようなことは止めていただきたい。
 さて、そんなメディアの姿勢を苦々しく思いながら、同じメディアでコメントしている自分の仕事...サッカー解説について自問自答してみます。解説者としての仕事はきちんとできているだろうか?。本当に視聴者の皆様が「解説してほしい」と感じたことに応じて「まっとうな解説」ができているだろうか?「すごいですね」とか「いいプレーです」とか、見りゃわかることばかりなぞって話して解説した気分になっていることはないだろうか? 「どうしてこうなるのか。今、何が起きたのか」という視聴者の皆様の疑問、関心にタイムリーに対応できているだろうか?
 そう考えると、もしかしたら私も随分と的外れなコメントしているかもしれません。「そんなこと知ってるよ。今さら聞くまでもないよ」と不愉快な気持ちで私の話を聞いているプレミアリーグファンがいるかもしれません。犠牲者のご家族に「今の心境は」と聞くレポーターと同レベルの過ちを犯しているかもしれません。
 災難の犠牲者の身辺を根掘り葉掘り詮索して「詳しく報道した」と自己満足しているメディアを他山の石としなければなりません。解説は画面の前で実況アナウンサーと二人でサッカー談義をしていればいいというものではありません。自分がしゃべりたいことを勝手にしゃべって「解説した」と自己満足するのではなく、視聴者の皆様の視線を的確に認識しながら「伝えるべき事」を選択していかねばならないと改めて思いました。