私たちは真央さんの何を見るのか?

 ソチ五輪浅田真央さんの演技にはいろいろなことを考えさせられました。
 まず、フリーで見せた演技が彼女の本来の実力。しかし10人を一気に抜き去るほどの技術が備わっているのに、それが出ない。人間の心理の難しさを改めて感じました。

 もちろん、メダル、メダルと寝ても覚めても騒ぎ立てるメディアが原因の一つであることは明らか。そのおかげてプレッシャーが幾重にも重なり大舞台での失敗につながったのに、それでもなお、「過去、一日目で転倒してもフリーで大逆転したことがあります。まだ可能性はあります」と、これでもかとあおり立てるバカメディア。まるで笑顔で傷口に塩を塗るような行為だと思い憤慨しました。
 さて、ソチ五輪浅田真央さんの姿を見て、私たちはそもそもフィギュアスケートの何を見ているのだろうか...と改めて考えさせられました。
 私たちは順位を見たくて観戦するのでしょうか?
 演技が心を打たなくても、順位が良ければ感動するのでしょうか?
 逆に、心を打つような演技であっても順位が低ければ失望するのでしょうか?
 アクセルだルッツだサルコーだと、私たちにはほとんど違いがわかりません。回転不足とか、着氷がどうだとかいわれても、さっぱりわかりません。このスピンは加点が大きいといわれても、ああそうか、と思うだけです。そんな私たちには直に理解できないレベルで0.1多いとか、1.5及ばないとか言われても、ほとんど違いを実感できない世界なわけです。優賞したロシアの選手とキム・ヨナさんの差なんて全然わかりませんよね。
 そんな、専門家が重箱の隅をつつくようにして無理矢理に決めた「順番」に一喜一憂することに、何の意味があるのかと思いました。それよりも、自分のナマの感性で見たままに「素晴らしい」と思うことが一番、大切ではないでしょうか。
 フリー演技終了のあの瞬間、どれだけの人が心を揺さぶられ、真央さんの心中を察し涙を流したことでしょう。たった4分間で、これほど多くの人をハラハラ、ドキドキさせ、そして掛け値なしの感動で泣かせることのできる女性が世界にどれだけいるでしょう。その意味では、浅田真央さんが成し遂げたことは金メダルをはるかに凌ぐ、とてつもない偉業だったのではないでしょうか。

 私たちの世代は70年札幌五輪のジャネット・リンさんが忘れられません。圧倒的なフリーの演技力がありなから、当時あった「規定」という種目が苦手で銅メダル。しかも得意のフリーでは転倒までしてしまったのに、その姿すらも「可愛い」と男子の心をわしづかみにしてしまいました。
 今回の真央さんの演技は、ジャネット・リンさんと同様、ソチ五輪を観戦した世代によって何十年も語り継がれることでしょう。