暴力監督とバカ親

 大分県で少女バレーの指導者が子どもに暴力を振るった事件がおきました。まず、いまだにこんな前近代的なバカ指導者がいることに驚くのですが、その後、報道で明らかになったことにはもっと驚かされました。

 一つ目は、その暴力指導者の職業が学校の教頭という責任ある地位の「教育者」だということ(!!!)。この人、もし学校勤務中に、相手を殴っている児童がいたら、なんと言って教育していたのでしょうね。「君、暴力はだめだ!」と言っていたのでしょうか。

 二つ目は、県の当局が通報を受けて調査に入ったものの、暴力を受けた子ども本人の聞き取りをしないまま「暴力は認められなかった」という決定を下したこと。不思議なのは、暴力問題は起きていないと結論づけたのに、その指導者の公式戦の采配を一時的に停止させたとこと。

 三つ目は、これが一番、驚くことなのですが、保護者たちが自主的に会合を開き、「密告した」と思われる保護者に正座をさせて攻め立て、さらには、全保護者に対して「今後、指導内容には一切、批判、口出しをせず、何があっても県や連盟など上位団体に通告もせず、行われている指導を容認する」という趣旨の誓約書に署名、捺印するよう迫ったということです。

 

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写真と本文の内容は直接、関係ありません。


 以上三つとも、どんなに不適切な指導があっても、成績で「結果が出ている」という現実の前には理性も、道徳も、正義も、順法精神も、何も対抗できない、というゆゆしき現象を示しています。

 多分、全区大会常連の強豪チームなのでしょう。このクラブで活躍すると、スカウトの目にとまり、バレー強豪校への進学、強豪実業団への入団という道が開けることが多いのでしょう。昔からずっとこうして結果を出してきたのだから、また、それを当たり前として受け入れてきたからこそ結果が出たのだから、今さらどうこう言わせない。常識、正義、順法などといっていたら勝てないのだ。そんな論理なのでしょう。

 いうまでもなく、こうした前近代的、非人道的、非科学的な論法を押し通そうとするのは、チーム内で活躍しているレギュラーの保護者たちです。そうした保護者は、とにかく我が子が勝ち進むことだけが全てであり、その課程で自分の子どもが動物の調教のように扱われようが、人格を否定するような罵声を浴びせられようが、とにかく勝って結果さえ出ればいいのです。勝利、結果という麻薬の強度の中毒患者です。

 ずいぶん前の話ですが、全国大会で優勝した少女バレーの選手たちが全員、丸刈りだったことに衝撃を受けたことがあります。そして、当時のバレー協会に問い合わせたら「ああ、そんなチームはいっぱいありますよ」と言われて二度、驚きました。

 勝つための気合い、姿勢を示すための意思表示だったのでしょうか?。容姿が気になる思春期入口の11~12歳の女の子たちが全員、甲子園球児のような頭で揃っている姿は異様でした。それを「恥ずかしい」と感じさせないだけの魔力が「優勝」という結果の中にあったのでしょう。

 異様な髪型も暴力指導も、そしてそれらを容認し、むしろ推奨する保護者たちの異常な心理も、全て勝利至上主義の弊害です。結果が全てという論理です。この「とにかく結果が全て」という論理はスポーツで目立ちますが、音楽や芸術の指導などでも、そしてまた学習、とくに進学という部分でも形を変えて存在しています。

 「あなたのため」と言っていながら、実は親のため。親の虚栄心、親の自己満足のために子どもが「道具」「飾り物」になるという意味では全て構造が一緒。

 「監督に文句を言わないと誓約書を書け」と迫る親のもとで育っている子は、将来、どんな大人になるのでしょう。