ケーサツのブライド?

 先日、交通違反をしてしまいました。一時停止を怠りました。正確にいうなら「ビタリ」と止まらなかった、ということです。
 T字路の左折。十分に徐行して(時速3kmくらい)、運転席から体を乗り出すようにして右から来る車を見つつ、ちょうど車列がとぎれた合間を利用してゆっくりとハンドルを切ったら「ピピー」と笛を吹き旗を振って誘導するケーサツ官。気がつきませんでした、一時停止の標識は左にあったのですが、左折だからずっと右から来る車ばかりみてしまったのです。
 「違反です」とケーサツ官。言うまでもなく、彼はたまたま居合わせたわけではなく、違反の起きそうな場所で予めを待ちかまえていたわけです。まぁビタリと止まらなかったことは事実なので、どうにも免れられない。そこで、前々からこうした「待ち伏せ・陥れ」方式の検挙に対して思っていた疑問をぶつけてみました。
 「ここ、よく違反が起きるんですか」
 「そうですね」
 「よく起きるからこそ、あなたも寒い中ここいるわけですよね。それなら聞きますが、よく違反が起きる場所と認識しているのに、ケーサツはどうしてそれを防ぐために、事前に注意を促すようなことをしないのですか。例えばあなたがもう10m手前で標識を見逃しそうな車に「はい、一時停止して下さいよ」と注意してくれれば、不注意による見逃しもなくなり、より安全が確保されるじゃないですか。そっちの方がずっと安全確保に意義がある」
 「はぁ、我々は取り締まりが仕事ですから」
 「違反するのを十分に予測していて、それが予想通り起きるのを認識して、じっと見届けてから事後に取り締まるよりも、事前に防ぐことの方が市民の安全を守るケーサツとして意義があるでしょうに」
 「取り締まることで、防止をうながすのです」
 とまあ、ここまでは想定問答集のようなものです。私はもう一歩、踏み込んでみました。
 「法とは危険防止のために、市民の安全確保のためにあるのですよね」
 「はい、その通りです』
 「確かに私はビタリとは止まらなかった。しかし、あなたが一部始終を見ていたように、私は体を乗り出すようにして安全を確認し、まったく車が通らない状態の道を非常にゆるやかな速度で曲がった。事実、事故は起きなかった。その行為のどこに危険があったのか教えて下さい」
 「止まらなかったことが危険なのです。止まらないこと自体に事故の可能性があるのです」
 「はぁそうですか、それなら、あなたは私が危険なことをまさにやろうとしているのを、なぜ止めてくれなかったのですか。なぜ危険なことが開始して終了するまで見届けてからつかまえたのですか。危険防止の法の精神の下、市民の安全確保のケーサツの仕事として職務怠慢じゃないですか」
 「私は取り締まるのが仕事ですから,,,,モゴモゴ」
 ケーサツ官は答えにつまってさっさと車を離れて逃げていきました。当然ですよね。はじめから矛盾したことをしているのですから、正面切って正されれば胸を張って応えることはできないでしょう。
 あ~あ、トベケーサツのイシグロくん、君も警察官を志した時には、悪をくじき、正義を守り、市民の平和と安全を守るなどという使命感に燃えていたことでしょうよ。それが今じゃ、待ち伏せというセコイ方法で市民を陥れるようなことをして、反則金を巻き上げ、ケンキョの数字合わせに駆り出されて安穏としている。
 ご両親が聞いたに嘆くぜイシグロ君。「違反者」の問い詰めに窮して答えられない姿を自分の子どもに見せられるのかね。誰が見ても君はセーギノミカタには見えませんぜ。