ビデオ判定って法解釈の厳密さを誇示するツール?

 サッカー・アジア杯の日本vsベトナムでビデオ判定が試合を決めました。
 日本の決勝点は堂安選手が倒されたことによるPK。流れの中ではプレーオンでしたが、後にビデオで確認され「やっばりPKでした」という判定。日本の先制ゴールと思われた吉田選手のヘディングも、かすかに腕に当たっていたことが後からビデオで確認されノーゴールと判定されていました。
 私に言わせると、吉田選手のハンドも、べトナム選手のトリッビングも「?」です。吉田選手にヘディングされたボールは確かに腕をかすめて飛んでいるように見えますが、とても「手でコントールされた」というようには見えず、また「手に当たることによって決定的なアドバンテージを得た」とも思えません。
 堂安選手が倒されたプレーも、ベトナム選手がかすかに堂安選手の足先を踏んでいるかのように見えますが、堂安選手は踏まれたタイミングとズレて姿勢を崩していて、足を踏まれたことが大きくバランスを崩す原因になったとはどうしても思えません。むしろ、自分のつま先に相手選手の足が触れたことをいいことに、堂安選手が大げさに倒れている「シミュレーション」のようにも見えます。
 吉田選手のヘディングの時は、ベトナムの選手たちは、てっきり得点されたと思い込み、皆がっくりうなだれています。誰も「ハンドだ!!」とアピールしていません。堂安選手が倒された時は、さすがに本人と周囲の日本選手の何人かは「PKだ!!」とアピールしていますが、それはぺナ内で倒れた時のお決まりのようなことで「とりあえず言っておく」という程度のアピール。誰も「絶対にPKだ」と確信はしていなかったでしょう。ベトナムの選手は「お前、汚いぞ、シュミレーションじゃないか」とばかりに堂安選手に詰め寄ってもいます。
 いずれのシーンも、そのままビデオ確認されずに流れていても、両チームとも納得(もちろん100%ではありませんが、サッカーではよくあることとして)していたのではないか、と思われるわけです。それを、ビデオで重箱の隅をつつくような確認をして「厳密には反則でした」とする。なんだが、わざわざ罪を掘り起こしているようで複雑な気持ちになります。
 例えば「一時停止」の場所で、ほぼ止まっているような速度で、しっかり左右の安全確認し、誰も歩行者がいない状態で車を通過させたのに「はい、ピタリと止まってはいませんでしたね」と交通違反になる。交通法規に厳密に照らせば違反なのでしょうけど、実際には誰にも危険を及ぼしておらず、安全の意識も確保されている。警察官だけが「違反を摘発した」と納得している。安全確保ではなく、取り締まり自体が目的になっている。それに似ています。
 今回のビデオ判定も「厳正にルールを適応する」こと自体が目的になってしまい、サッカーの持つファジーな部分(それも幾多の名勝負と思い出と怨念と闘志の源泉になる)を排除しているように思えます。「確認してよかった」と納得しているのは審判だけじゃないんですかね。
 ベトナムは吉田選手のヘッドの取り消しをしてもらっているからPKには強く抗議はしてこなかったですけど、もしそれがなければ、あのPKには猛烈と抗議してきたでしょうし、私が言うように堂安選手のシュミレーション疑惑も持ち上がったことだと思います。
 「ホラ、ここでちよこっと触っているでしょ。これ、反則なんですよ」という審判だけがご満悦になる法解釈の講義みたいな判定、私は大嫌いです。