指図する、という快感...

 サッカーの試合で、やたらと笛を吹く主審がいます。そういう主審の笛は大抵、フゥウルスロー、スローインのポイント違い、FKのボイントの違い、つまり、素人目にも判りやすいが、どちらかと言えば試合の展開上どうでもよい部類のことに対してビッビと吹かれます。ところが、そういう主審に限って微妙な接触プレーとか、レッドカートになる判定とか、高度な判断が要求される判定は明確に下せません。
 審判の専門能力を発揮してほしい場面では並み以下。しかし誰でもわかるような簡単な場面ではうんざりするほど笛を吹く。公正な判定に尽力することよりも、「自分の笛一つでピッチ上の22人を支配できる」という、与えられた「小さな特権」を満喫しているかのように見えます。
 副審にも、とにかく旗を揚げたがる人がいる。黙ってタッチラインの横を走るだけでは「特権」が駆使できないからか、ボールが完全にラインを割っていなくてもバサッと旗を揚げる。オフサイドかどうか微妙な場面でも、本当は「疑わしきは罰せず」なのに、バサッと旗を揚げる。その旗降り一つで22人の動きを一斉に止めること、22人をコントロールしたことの快感を味わっているがごとく。
 このように、他者の行動をコントロールできる「小さな特権」を握った人間の振る舞いというのは、時として滑稽です。道路工事の横で通行人を誘導している警備会社のアルバイトも、必要以上に安全棒を振ったりしますよね(笑)。学校の前の信号で旗を振っている交通安全ボランティアのおじいさんたちも(笑)。自分の指示一つで他者の行動を規制する、導く、といった行為は誰にも一種の「快感」を与えるので、どうしても過剰な行動になりがちなのでしょう。
 少年サッカーの試合前に子どもたちの指をネイリストのように丹念に調べて「はい、爪切ってきて」と指示する本部係員もそう。少しでも伸びた爪を探し出して切らせることに命を賭けているよう(笑)。ベンチメンバーが「ビブスを着けていない」と指摘する本部係員も同じ。ゴール裏やタッチライン際で、試合中のチームと同系色のユニフォームを着たたチームが練習することは100%容認しているのに、ベンチに静かに座っているサブメンバーのビブス着用だけをうるさく言う。
 爪もビブスも、練習試合の時にはまったくチェックせず、滞りなく安全に進行しているのに、公式戦になると人が変わったように「取り締まり強化」(笑)に神経質になる。危険防止あるいは正確な判定のための環境整備、という本来の趣旨よりも「決まりに従わない者を取り締まる」という「特権」の行使が全面に出過ぎてしまう。これも、自分の指示で他者をコントロールできる快感の一つなのかもしれません。