巳年を考える

 みなさま明けましておめでとうございます。


 今年は巳年。この「巳」という字、本来の読み方は「し」というのだそうです。「巳」の語源は母体内に頭と体ができかけた胎児を示した表現で、子宮が胎児を包み込んでいる様子を示しているとのこと。十二支の中では植物に種子ができはじめる時期を表しているのだそうです。これを「へび」と読ませることになったのは、十二支を庶民に判りやすく浸透させるために、干支の一つ一つを動物に置き換えて読ませるようにしたからなのだそうです。

 ともあれ、「巳」は萌芽、育成、門出など、出発、開始のイメージを表すものなのですね。「巳」を覚えてもらうために読み換えられた「へび」は、古代では強い生命力の象徴だったといいます。神社でまつられている「しめ縄」はへびが絡み合う姿を象っているのだとか。だから、今年は生命力に満ちた再生の年であることが望まれているのですね。

 キリスト教のように、神が造ったある一点から歴史がはじまり、未来のどこか一点の終末で世界が終わるという直線的な時間概念がある一方で、季節は常に巡り、命も輪廻を繰り返し、時間は永遠に同じことの反復をつづけるという円の時間概念もあります。我々日本人をはじめ東アジアの人々は、後者の考え方を持つことが多いようです。十二支の永遠の繰り返しもその延長にあるのでしょうね。

 その永遠の繰り返しのどこか一所に「区切り」をつけて再生する。その一つが「巳」のイメージなのでしょう。

 育成期のスポーツで勝った負けたと一喜一憂しても、よほどの大記録でない限り、毎年の勝敗や順位など3年も経てば曖昧な記憶に埋もれてしまいます。人生の長いスパンで見れば、小・中学生のある特定の時期で勝ったとか負けたとか何位だったかなどということは、とるにたらない出来事なのです。市や県で勝った負けたなどと言ってみても、長じれば雑多な思い出話の一つにすぎなくなります。

 次の「巳年」が巡ってきたときに、それまでの12年間を振り返って真っ先に思い出すのが数字や順位だけでは悲しいですね。そのように人と人とを仕分けて見ていくような経験を重ねていくのではなく、人と人とを結びつけ、その関係を深め、かかわりの幅を広げる経験を重ねたいものです。それは、雑多の思い出の一つに埋もれるのではなく、人生を通した財産になります。

 今年は発芽、再生をイメージする「巳」に相応しい年にしたいですね。発芽、再生には、土を耕し、種をまき、水をやり、肥料を与え、雑草を撮り、風雨から守る作業が必要です。目先の利益、結果を求めていては本来の目的はつかめません。12年で一つのサイクルが巡るというのも、そうした教訓を伝える先達の知恵なのかもしれません。