「良い頭」の使い方

 ご無沙汰しているうちに年末になってしまいました。
 2012年を振り返ると、スポーツ関係者としてはロンドン五輪などがビッグイベントではありましたが、個人的には何と言っても山中教授のノーベル賞受賞と、そのことで明らかになったさまざまな事情が印象的でした。
 まず、山中さんが臨床医として不器用ゆえに挫折した果てに現在の仕事で開眼したということ。高度に専門的分野の話ではありますが、一度、志を折られた経験のある人の再出発による偉業であることに感動。何でも終始「勝ち組」でいればいいというわけではないということ。
 その山中さん、天才的頭脳ゆえといえばそれまでですが、受賞のスピーチでジョークを交えた見事な英語力を披露。語学とは、ただ話せることだけが目的なのではなく、何をどう伝えるかが大事、つまり、会話の中身が伴わねば、いくら話せても意味がない、ということを見事に示してくれました。英会話の塾に通っている子どもたち、わかるかな?
 山中さんの研究を維持する優秀な研究員たちが、非正規雇用で、補助金等の期限が切れればあっというまにフリーターになってしまうというお寒い事実には驚き。そして、その研究員の給料を確保するために自らマラソンをして賛同者に寄付を募った山中さん。およそ1千万が集まったといいますが、実際は億単位が必要なので焼け石に水

 その一方で、ただ選挙での議席獲得目当てに離合集散を行い、まんまと何億円もの政党助成金をせしめた後、平然と解党、分派する恥知らずの鉄面皮がいる現実。高潔な志を持つ天才と、私利私欲に汚れ切った政治ならぬ「政局」専門家が同じ日本人とは....。
 不況の中、国民から搾り取った「復興予算」をまったく関係のない事業に振り分けて「巡り巡れば被災地の復興につながる」などと「風が吹けば桶屋が儲かる」的な屁理屈こねて平然としている腐れ官僚たち。まぁ世間的に言えば「頭がいい」人たちなのでしょうが、問題はその「よい頭」の使い方。だまくらかす、けむにまく、いいくるめる...そういう無垢の善人を貶めるようなことに使いたくないですね「良い頭」は。同じ「頭がいい」でも、山中さんとはまったく意味が違う。
 ノーベル賞すごい、すごい、と褒めそやすメディアに対して、「受賞は受賞で一区切り、全て忘れてこれからのことに全力を尽くさねば。何よりも、苦しんでいる患者さんのために一刻でも早く実用的な薬の開発を急がねば」と次なる決意を語った山中さん、奢らず、素晴らしい。
 山中さんの研究の過程では何百という「特許」が取得されているとのこと。それに適正な経済的利益を設定すれば、天文学的な収入が彼の元にザクザクと入ってくるはず。しかし、そうすることで彼の開発したノウハウを活用するのに「お金」が障害になってはならぬと、権利だけを保護することにとどめて、ほぼオーブンにそれを駆使することを許可しているという。もう、かっこいいとか、素敵とかを通り越して、ただただ尊敬するしかなくなります。
 自らも剣道、マラソンを愛好するという山中さん。こういうスポーツマンが一人でも多く育つことを願います。