トルシエ、ジーコと同じだ!!

 白河の清きに魚も住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき
 これは、江戸時代、混乱を招いた老中・田沼意次の政策を改め「寛政の改革」を推進した松平定信の厳しい締め付けを皮肉った狂歌です。松平の治世で確かに世の中はクリーンに変わったものの、何かと息苦しくなった。これならかえって清濁合わせ飲んでいた田沼時代の方が気が楽だった、という庶民の気持ちを表しています。
 今回の選挙では、自民党が圧勝しました。原発を容認し、消費税率アップを推進し、TTP(TPP)に参加し、憲法を改正して国防軍をつくり、集団的自衛権を設定して積極的に相手を殺傷する行為を認めましょうと言っている政党に、これほど多くの支持か集まるとは、正直、驚きました。
 視点を変えると、それほどまでに民主党政権に失望したという民意の現れなのでしょうか?。3年少し前までには、あれほど見限った相手だったのに。総裁が「みぞうゆう」などと言っていたのに(笑)。3年ちょつとで「やっばり、もう一度あなたたちにお願いします」となるものなのですかね...?
 今回の政治の経緯を見ていると、トルシエジーコの論争を思い出します。
 トルシエは怒鳴り、小突き、「文句あるならメンバーから外すぞ」と脅しまくって「フラットスリー」なる安っぽい戦術を強行しました。幸運にも恵まれて自国開催のW杯でグルーブリーグを突破しました。しかし、決勝トーナメント1回戦では想定外の試合運びになったため、選手はフラットスリーで叩き込まれていた戦術の応用が利かず、力を出し切れずに敗れました。
 「やはり選手か監督の顔色を見ながらプレーするようなチームでは限界があるのだ」という反省があり、次の監督ジーコは選手自らが解決する力を養成すべく、極力、自主性にまかせる環境を整えました。ところが、トルシエに4年間ずっと縛られてプレーしてきた選手は、縛りを解かれるとどうしていいかわからず、迷い、指示を求めてプレーは停滞しました。
 そこで浮上したのが「トルシエ方式復活待望論」でした。「やはり、縛りや型は必要なのだ」という説が声高に叫ばれました。元の濁りの田沼恋しきです。今回の選挙も、ノダ・ジャバンはいろいろ理想を言ったけど結局、結果が出なかった。やはり、あの時はあれほどイヤだと思ったけど、よく考えてみるとアベ・ジャパン方式の方が良かったのかもしれない、ということなのでしょうね。

 まぁアベさん、色々とやってくれると言っていますが、あまり信用できませんね~。「民主党ではできなかったこと」をやるといっても、どうせ各省庁にいろいろな外郭団体を作って、そこにオエラ方が天下って、彼らと関係の深い業界、業者と怪しげな関係が出来て、利権にカネが集まって....と3年半前までせっせと作り上げてきた形を踏襲するだけでしょうからね。
 「コクミンのミナサマのために...」と言っている人ほど怪しいのだ、ということは、選挙権を持ってからかれこれ37年間でいやというほど学んでますから。