ジーコの指導が結実

 日本代表、イラク戦に勝利しました。
 イラクの監督ジーコは前日本代表監督。ジーコが就任当時、指導の中で強調していたのは、監督の指示だけに盲目的にに頼らず、自主的にプレーやゲーム構成を臨機応変に変えていく力の養成でした。しかし、当時の批評家たちは、そうしたジーコのチームづくりをして「約束事がない」「戦術に乏しい」と批判したのでした。「どこでボールを奪いに行くか、奪ったらどのうようにボールを動かすのか、きちんと型を決めておかねばならない」と繰り返したのでした。
 時は過ぎ、ジーコは日本代表の対戦相手の指揮官となりました。日本のストロングポイントを熟知したジーコは、パスワークの起点となる遠藤にマーク役を指定し、本田にも厳しい監視役を定めました。試合後ザッケローニ監督に「あそこまで守備の形を徹底してくるとは想定外」と言わせたシフトを組んだのです。いつも通りの戦い方が出来なくなった日本代表...どのような「応用」ができるかが試されました。

 厳しいマークがついた遠藤は無理をして前に進まず、深い位置にとどまり、相手のマークを後方に引きつけ、中盤にスペースをつくりました。そして、そのスペースに右から岡崎が、あるいは左から清武が斜めの動きで入り込み、イラクDF陣の注意を中央に引きつけました。そして、岡崎、清武が空けた左右のスペースに駒野、長友がオーバーラップしチャンスをつくりました。また、本田は敢えてマークを引きつけてサイドに流れ、空いた中央のスペースに長谷部らが進出したりもしました。イラクのツートップが引いて遠藤、長谷部をマンマークしたことで、センターバックの吉田、伊野波が自由にボールを扱えるようになりました。そこで、特に吉田はボール持って前進し、ビルドアツプに参加することを心がけました。
 試合後の記者会見で、センターバックのビルドアップについてはザッケローニ監督が指示したことが明かされました。それでも、こうした一連の「状況に応じた応用」の多くは、選手たちの臨機応変な判断力によります。監督がタッチライン際で顔を赤くして大声で怒鳴らなくても、選手たち自身が相手の出方を見て、自然にそのような動きに統一していったいったのです。これこそ、かつてジーコが望んでいた姿だったのではないでしょうか。
 ジーコ退任から6年、播かれた種は当時はつぼみのまま終わってしまいましたが、やがて風雪に耐え、確実に実をつけました。少年でも代表チームでも同じ....指導とは即効性のないものです。数年、十数年単位でようやく成果が確認できるのです。当時、ジーコの指導に「型がない」と批判していた人たちは多分、かつて自分がそういう批判をしたこと自体をわすれていることでしょう(笑)。