JFAのアリバイづくり

 ハリルホジッチ監督が解任され、いくつかの問題が浮き彫りになりました。

1.コミュケーション、信頼関係に関して

 監督と選手の間に良好なコミュニケーションと信頼関係が乏しくなったとのことです。ではトルシエの時はどうだったんですか?選手の胸ぐらをつかんで罵り、気に入らないプレーをした選手は「帰れ」と罵倒し、意見を聞く耳なんか全然なかったじゃないですか。選手たちは生きているうちに二度とないであろう「自国開催のW杯」に出たい一心で我慢し続けた。
 フラットスリーなる危うい戦術に固執し続けた結果、選手が最後には監督の指示に見切りをつけて、選手たちの判断を活かして戦った。このことは、当時ピッチでDFラインを形成した宮本、松田、中田浩の各選手から直接聞きました。つまり、完全に監督は無視されていた。トルシエの場合、コミュニケーションとか信頼とかは論外の状況だったわけです。それに比べたらハリル監督は全然マシじゃないですか?。


2.文句を言ったら外される?

 例えばこんな会話があったとしましょう----。ハリル監督は日本がポゼッションに固執しすぎる点を指摘、もっと早めに勝負のタテパスを入れろ、そこで一対一の勝負(デュエル)をしろ、と指示しています。しかし、勝負を怖がりボールを失うことを恐れた選手が慎重にヨコバスをつないだとします。「そこはタテに勝負しろと言っているだろう」と怒るハリル監督。
 これに対して選手が「いや、それは無理です。ボールを失う可能性が高いです」と意見したとします。「そういうところがダメだと言っているんだ。そこが日本の課題なのだ」とハリル。「それはないでしょ。もっと人数かけた方が攻撃のオプション増えるんだから」と選手。
 日本のだめなところをなんとか変えて行きたいハリルと、少年期からリスクを避けてボールを回せと育てられている選手。かみ合うわけないですよね。「そういう考えに固執して私のイメージを具現しようとしないなら、君とはプレーできない」と監督が判断してもしかたがないでしょう。でも外された選手は自分に都合がいい言い訳をします「オレが外されたのは意見をしたからだ」と。
 そもそも選手選考なんて究極の「好き嫌い」。2002年の時、中村俊輔が外されて全国民が「????」だったでしょ。トルシエはメディアの批判を恐れて発表会場に現れず、メンバーは協会役員が読み上げました。中村俊輔が外されたのはトルシエに嫌われたから、です。


3.「前はよかった」は、ただの泣き言

 ブラジルW杯では、ポゼッションして試合の優先権を握る「自分たちのサッカー」なるものに固執しましたが、そんなことは到底無理であるという現実が突きつけられました。世界の厳しさを知るハリル監督は、ボール際の戦いに勝ち、素早く鋭く攻める「現実的」な戦い方を導入しました。
 少しでもリスクを感じたら、とりあえず隣の仲間にボールを預けておけば「自分はミスしなかった」としうアリバイが作れたポゼッションサッカーとは違い、少しの可能性でも見えたらガンガン勝負していかねばならない戦法はキツイ。これまでは「とりあえずつないで一息」というところでも「タテに入れて勝負しろ」となる。
 切り替えの速さ、テンポの速さが要求される。相手もこちらもキツイ状況の中で「そこを競り勝つんだ」というタフさが求められる。ポゼッション主体のノンビリサッカーに浸ってきた選手はついていけない。だから選手は「すぐ蹴れと言われる」と自分の都合のいい解釈で弱音を吐きたくなる。これ、ただの泣き言。
 トルシエが強権で全てのことを縛りすぎたために、選手が自己判断できなくなった。そんな危機感を感じたジーコが「もっと自分たちで考えろ」と多くの自由を与えました。すると、それまで指示されて動いていた選手はどうしていいかわからず「戦術が示されない」「約束事がない」と文句を言いはじめました。自分たちの応用力の未熟さを「指示してくれない」とあたかも監督の責任のように語った。
 今回も同じこと。指示や戦術に異議を唱え、「前はよかったのに」と言っている選手は、プロとして自分の適応力の乏しさを露呈しているだけ。

4.協会のアリバイづくり

 ある高名な監督がつぎのように語っていました。「選手を信じて待つこと、悪い状況に耐えること、いずれもしんどい。だから選手交代とか戦術変更とか、何かしたくなる。それは『座して待たずに何か手を打った』というアリバイづくりになる。あまり効果がないとわかっていても、色々と動くことで『オレは精一杯やれることはやりました』という言い訳がつくれるんだ」
 今回の解任劇を見て、まっ先にこの監督の言葉を思い出しました。今の日本のサッカーでは、どう考えても一次リーグ敗退。誰が監督でも同じこと。それなら、このままハリルで行って予想通り敗退するよりも、「思い切った監督交代までして臨んだのですが...」というアリバイをつくっておけ、という魂胆なのでは?。
 そして大会後「結果としてハリルの戦術で長く走りすぎたことが敗因。日本人にあったサッカーとは何か、をもう一度考え直さねば....」てな反省をして終わり、というストーリー。この協会の姿勢、ポゼッションと称してパスに逃げているサッカーの内容と同じ。ただの現実回避。自己保身。

5.ダメなヤツほど人のせいにする

 私の主宰するサッカークラブには、時々、別のチームから移籍を希望する子がいます。「前のチームでコーチや指導方法が合わなかった」というのが理由。でも大抵は、そういう親子は私のクラブでも「合わない」。親子共々、100%自分に合うことだけを求めている...つまりただの自分勝手なだけだからです。
 そういう親は自分の子どもを過大評価していることが多い。自分の子がくすぶっているのは悪い指導者、悪いチーム環境のせいだ、という持論がある。
 親が勝手に自分で基準を決めて、我が子を過大評価し「悪い環境で被害者になった我が子」という妄想を広げているバターンは腐るほど見てきました。子どもが順調に伸びない、精神的に落ち込んでいる...という原因が、親自身の無意識のうちのプレッシャーであることに気付いていないケースはそこかしこにあります。そういう親ほど「コーチの指導が、采配が」と問題の所在を「自分以外の何か」に設定するのです。
 今回の解任劇も同じです。「ハリルのやり方が悪い」と悪役を「自分以外」に設定して逃げようとしている。
でも問題はハリルの方法ではなく、それについていけない日本のサッカーそのものにある。弱気なヨコバス、一対一の勝負を避ける姿勢、確実な保証がなければ勝負のプレーを仕掛けようとしない姿勢、縦への攻撃と大味なキックアンドラッシュの区別がつかない戦術意識...そういったものを改革しようと必死になっていたハリル監督の意識に「ついていけません」と言ってしまったわけです。
 日本サッカー協会の視点は、素人基準で自分の子の力量を過大評価し、コーチやチームを悪者にしている困った親たちと同じです。もっと現実を冷静に見なければなりません。

6.コミュ二ケーション取れたら勝てる?

 後任の西野監督、優れた人材です。でも、いくら何でも今からのチームづくりは無理。日本人として選手と密にコミュニケーションが取れることが強みとのことですが、では監督が選手の話を聞いてあげれば二ヶ月でチームはみるみる強くなるのでしょうか?そんな簡単なことなの?代表チームって。
 決定機を外しまくるのも、DFのビルドアップが稚拙なのも、コミュニケーション一つで改善するんでしょうか?マネ、ハメスロドリゲス、レバンドフスキーをストップするのって、監督と選手の会話で何とかなることなんですかね? 大会後に「やはり準備の時間が足りなかった」などと分析するのだけはナシですよ、田島会長。