自分たちのサッカー?

 ロンドン五輪を目指すU-23日本代表、シリアに敗れてしまいました。アウェイといっても中立地のヨルダン。どちらかといえば日本のサポーターの声の方がよく響く環境でしたが、実にいただけない内容でした。
 ひどいピッチ。それは認めます。日本ならアマチュアでもあれほどデコボコのグラウンドではプレーしない。解説の名波浩さんは「日本の方がはるかに技術では上ですから」と言っていました。多分、そうなのでしょう。しかし、それにしてもトラッブミス、キックミス、あるいは簡単に奪われるプレー、ものすごく多かったですよね。相手も同じくらいミスしていましたが、日本のミスが目立った。
 それは、同じピッチの悪さを「利用する」応用力の違いだったのではないでしょうか。トップ通過だけに与えられる出場権を巡って互いに「勝ちたい」試合。特にシリアは絶対に負けられない背水の陣。そうした状況で、このデコボコのピッチでどういうサッカーをすればいいか。その答えを理解している方と理解していない方の差が出た、という気がします。
 本当は、さまざまな状況にあわせてコンスタントに高いレベルで発揮できる技術を「上手い」というのではないでしょうか。
 いつでも、どこでも、誰が相手でも「自分たちのサツカーをする」ということが美学だと思っている日本の選手。よろしい、それができるならいいでしょう。しかし、相手の当たりが強いとか、ロングキックをしてくるとか、ゴール前に引き切ってしまうとか、少し毛色の違ったサッカーで対抗されると、とたんに攻めあぐむというシーンは繰り返し見せられています。これはつまり、一定の条件が揃わねば「自分たちのサッカー」ができない、ということの証明でしかない。厳しい言い方をすれば「どんな状況でも同じことしかできない」と言ってもいい。
 デコボコのビッチでも、良い芝の時と同じように細かくつなごうとしてはトラッブミスし、バスミスをする。常に味方の位置を確認してからゴール前に確実なバス入れようとしてタイミングを逃す(相手の守備が整っていないのに!!!!!)。一方シリアは、多少雑でもとにかくゴール前へ、そして出来ればエースの10番へ(この男はなかなかの選手ですね。かなりカッコいいし)、という意識は徹底していましたね。その差が2-1というスコアになって示されたのではないでしょうか。
 失点は10番の突破を止めきれずにファウルしたFKから。決勝点は思い切りのいいDFのロングシユートから。いずれも、日本ではなかなか見られないプレーがきっかけになっています。2人、3人をひきずった強引なドリブル突破も、無理と思われる位置、体制からの思い切ったシュートも、日本では誰もやらない。だから、あまり経験しない。あまり経験しないから相手にやられると度肝を抜かれて混乱する。世界に出れば、いつでもどこでも日本のように「つなぐ」ことが最も素晴らしいプレーとする選手ばかりと思ってると、今回のようなことになります。
 「自分たちのサッカー」に凝りかたまることは美学かもしれませんが、一方でサッカー能力の「鎖国」をすることにもつながりかねません。「~しかできない」選手をつくりだすことは指導者として適切ではないと私は思っています。