変えたつもりで何も変わっていない...

 東アジア杯サッカー、男女とも北朝鮮に敗れました。「相手は決めるべきときに決めて、自分たちは決めるべきときに外していた」という森重選手の言葉が明確に敗因を示しています。
 とりあえずボールはつながる。何となく相手ゴール前までは行く。しかし、そこから誰がどのようにして相手守備を打ち崩すのか、はっきりしない。だから中途半端な形(相手守備にとっては十分な形)でカットされる。そしてスピーディなカウンターを受け、シンプルにゴール前に運ばれ、ゴール前で勝負できる選手にきっちり決められる。男女とも笑っちゃうくらい同じバターンでやられました。
 コンディションとか、コンビネーションとか、もっともらしい言い訳が沢山でていますが、関係ないですね。明らかにサッカーのプレーの質の問題です。こちらは相手ゴール前であっさりとボールを失い、フリーのシュートをゴール上にボーンと外しているのに、相手はチャンスにきっちりと競り勝ち、決めている。要は相手ゴール前、自分のゴール前、という最も大切な場所でどういうプレーが必用なのかが徹底されていないという、十年一日のごとくの課題が1ミリも改善されていないとが、またまた示されたということです。
 日本サッカーの行き詰まりに対してこれまで何度も警鐘が鳴らされ、その度に強化委員会とか、技術委員会とか、責任者や担当者を変えて何かを刷新したつもりになっていたのですが、所詮、同じ組織で同じ視点でモノを見ている仲間内でのたらい回し。革新的な改革が期待できるはずもなく...。とりあえず「手は打ちました」というアリバイづくりだけをして、当然、大きな変化はなく「なかなか難しいね」と言い訳して、次こそは...と先送りにしていく。そんなことの繰り返しだから、何十年経っても同じパターンで負けるのです。
 このように、何かを「変えた」と自負していても、それを考え、実行した本人の分析自体が見当違い、ということは珍しくありませんね。「日本を変える」と豪語している阿呆シュショー...あっ間違えた、安倍シュショーの独断がいい例。「変えたぜ」「やったぜ」とその気になっているのはハダカの王様本人だけで、周囲は「べつに同じなんですけど...っていうか、かえって悪くなってるんですけど...」と冷ややかに見ています。日本のサッカーも同じ、監督をいろいろ代えてもサッカーそのものに対する視点を変えねば根本的な変化は望めません。