海外に行けば....

 テニスの錦織圭選手、大活躍でした。
 あそこまで勝ち進む想定がなかったのかどうか、ミックスダブルス(クルム伊達さんと組みました)もスケジュールに組み入れてしまい、結果的には連戦、連戦で、最後の試合は得意の機動力が万全ではなかったようです。
 錦織選手は海外のテニススクールで鍛えられました。そのスクールは強豪を輩出し続ける名門クラブだそうです。「やはり海外で揉まれると強くなる」という評価がなされています。もちろん、その評価には一理あると思います。その一方で、「しかし」と思う部分もあります。

 テニスでもサッカーでも何でも、海外で修行することの利点の第一に「自立」が挙げられます。海外に行けば日本と違ってだれも親切にかまってくれない、問題は何でも自分で解決するしかない、意見を主張しないと認めてもらえない.....だから自ずと精神的に鍛えられるのだと。
 その通りなのですが、私はいつも「そんなことなら国内でもできるではないか」と思うです。どうしても日本にない特別な装置があるとか、どうしてもその場所に行かねばできなことがあるとか、そういうことなら、仕方がないと思います。しかし、喧伝される自立の要因は「要は心がけではないか」と思うわけです。
 海外のサッカーは「練習から厳しい」とよく言います。それなら同じように練習から厳しくやればいい。要はその気があるか、ないかの差ではないでしょうか。
 日本では、まず指導者がひどく「教えすぎ」ます。何から何まで、上意下達で自分の描いたとおりの選手にしたがる。迷い、考えさせない。さらに、進学や就職の世話をする。世話をするというより、そういう条件を整えて選手を勧誘する形態になっている。女子選手は結婚まで面倒を見る場合もある。だから、指導者は選手のあらゆる部分を握る「全能の師」になり、選手はそれに身を委ねてしまう。その結果、アタマも使わなくなる。
 つまり、日本ではアスリートは自立とは正反対の環境にはまりこんでいくのです。私もかつて、ある人から「永井さんは選手の進学(サッカー推薦等)の面倒を見てくれない」などと陰口をたたかれたことがあります。冗談じゃない。私に世話にならねば学校に入学できないような「サッカーバカ」とは、最初からつきあいたくないだけです。
 サッカーに山ほど失敗例があります。テニス少年の親御さん、海外に行かせればよいと言うわけではないんですよ。よく考えて下さいね。