ナベツネ騒動から見えてくるもの

 野球の話。巨人、もめてます。ナベツネこと渡辺恒雄氏の傍若無人な振る舞いに、ついに堪忍袋の緒が切れた清武さん。人生を賭けた摘発に踏み切りました。
 私が尊敬する先輩スポーライターの玉木正之さんが以前、スポーツ専門誌のコラムに次のような主旨のことを書いてしました。「誰かが亡くなった時、生前その人を批判していた人がコメントを求められた場合、どんなに憎んでいた相手であっても「残念だ」「ケンカ相手がいなくなって寂しい」なとど追悼の言葉をだすもの。しかしナベツネが死んだ場合、私は絶対に「残念だ」とはコメントできない。なせなら、あの人は死んだ方がいいからだ」。
 過激な言葉に思わず笑ってしましましたが、事実、野球界では、渡辺氏の言動、行動に困り果てている人が多数いるようです。あの方を良く言う人に会ったことはありません。玉木さんの「死んだ方がいい」は言い過ぎにしても、大多数の人が渡辺氏の独裁者的老害に嫌気がさしていることは事実です。
 清武さんは、その「見えない総意」の代表として腹をくくって記者会見したわけです。ところが、周囲もメディアも予想外に冷ややか。やれ「方法がよくない」とか「日本シリーズの直前にいかがか」とか、まっとうな立場ぶった意見が目立ちます。
 あ~いやだ。何でこうなの。普段、口を開けば、陰口、悪口を言い合っているくせに。そのくせ巨人に睨まれて敵に回せば都合が悪いから、記事にしたり番組企画にしたりはしない。今回のように誰かが決断して先頭に立って摘発したなら、自分が先頭に立つ勇気がなくても、少なくとも応援くらいしましょうよ。普段、清武さんと同じ事を言っているのだから!!!。
 でもいざとなると「気持ちはわからないでもないが、オレはそこまではやらないよ」と自己保身を十分に計算して振る舞う。騒動が一段落した後で「あの時ボクはナベツネさんを攻撃しませんでしたからね」と、後々のことを見越して立場をクルクル変える。
 こういう人たちが、いざ風向きがナベツネ批判に傾き始めると、堰を切ったように尻馬に乗ってくるんですよね。「前から言っていたのだ」というような顔をして。今は清武さんに冷ややかなコメントを出していても、きっと「あの時の清武氏の行動が突破口になったのだ」などと平気で言うことでしょう。 
 しかし、もっとズルイのは、今、どっちつかずのコメントや態度で「困りましたね」的な立場をとる人たち。「ただ面白い野球が見たいだけです」などと毒にも薬にもならない事を言って逃げている人たち。自分の意見を持たず、結果か見えてから「勝ち馬」に乗ろうとする心理。
 こんな人が多いから、渡辺氏のような行動が長年、まかり通ってしまうのでしょうね。