死ぬまで計画的

 そろそろはじまります。お受験。
 この時期、小学校高学年のグルーブでは、毎年、誰がクラブを辞めて誰が残る、という話題が持ち上がります。「今、やっておかねば」という受験産業のセールストークに煽られた挙げ句、土日でもオベンキョーに没頭する生活を選ぶ子がでてきます。サッカーどころではないということです。

それにしても、私なんか子ども時代、毎日学校で6時間目まで教室に座っていることだけでもひどく苦痛だったのに、今の子は放課後もさらに塾で机に座り、さらには土日までも机に座るとは.....信じられません。すごいです。私にしてみれば、子どもがそれだけの量のベンキョーをこなせること自体、超人的としか思えません。
 ともあれ、遊ぶこと、スポーツを楽しむことを辞めてベンキョーに励めば、いい中学に入れて、その先にはいい高校があり、いい大学があり、いい就職がある。いい就職をすれば、いい場所に家を建てて住み、(35年もローンに追われはしますが)、老後まで安心できるいい生活ができる。とまぁ、こんな人生計画のスタートを、わずか10歳くらいで切るわけです。
 つまり、60年後、70年後の安心のことを考えて今を生きる。そしてこの先ずっとずっと常に「今」というものはない。一生、全て漠とした「その先の未来」のために犠牲にする人生がはじまるというわけです。恐ろしいです。まるでモノづくり。企画生産品の世界。
 狙い通りの生活を手に入れて、やがて35年ローンを払い終えてすでに老朽化してしまった持ち家を眺めて、「あ~いい人生だった」と思えるのでしょうかね? いや、その頃になってもなお、自分の子、孫が同じように「いい生活」ができるための中学、高校、大学に入れるかどうか、いい就職ができるのかどうか、追われるように心配し続けているのでしょうね~。そして、その子も孫も、35年ローンに追われる生活をくりかえすのでしょうね(恐)。

 そういえば、昨今、高齢化社会を反映してか「死に支度」的な話がよく採り上げられますね。老い先短いと悟った人が葬儀はどうしろ、墓はどうしろ、遺産はどうしろ、などということをきちんと整理して、カウントダウンするようにして死ぬのだとか。これ、受験戦争、出世競争を必至で生き抜いた人たちの発想らしいな~と思うわけです。何事も先々を見通した計画通りに...と。それが死ぬまでついて回る。
 たった80年程度の人生です。子どもの頃から何もかも計画をして、その予定通りに生きて、死ぬまで計画とともに....とは。是非はともかく、そのような生き方に心の安寧を求めるように育てられたというか、そのように生きるように仕組まれたというか....そういう人生なのですね。
 10歳かそこらで老後まで考えた人生をスタートさせられる子どもたちも、ずっと死ぬまで先々の計画に追い立てられる人生に突入するのでしょうか。ねぇ神様ぁ~それでいいんですかね~。アナタは人間を、死んでいく計画に追われて生きるようにつくったのですか~?