何に面白みを感じるか?

 自分が指揮する成人チームの練習試合。リーグが一つ上の格上の相手に丁々発止のなかなか面白い試合でした。しかし一進一退の攻防が崩れ始めたのは交代選手を投入してから。新人選手の経験のために布陣を入れ替えると、試合はまたたくまに劣勢となり、次々に失点しました。
 我がチームの目標は、その日のお相手と同じリーグに昇格すること。ですから試合の趨勢は、そのまま目標達成のバロメーターになります。主力を数名欠いても互角の試合ができたレギュラー陣の成長は合格点といってよかったと思います。しかし、新人たちの実力は、目指すゴールが遙か遠くに霞んでいるような状態でした。
 最も簡単な方法...。レギュラー陣を中心に徹底した強化を進め、それ以下の選手には自力で這い上がってくることを求める。それで一つ上のリーグに昇格を果たせば、その結果を見てより実力のある選手が入部を申し出てくることでしょう。そんなものです、この世界は。
 でも、悲しい性ですね。そうして簡単に良い選手を獲得して、それを右から左に並べて勝つことよりも、時間をかけて育て、力をつけてやることの方に「面白み」を感じてしまうのですよ、私は。「あ~あ、また時間がかかるな~」とため息をつきつつ、帰路につくのでした。

帰宅したら嬉しい報告。小学生が、およそかなうはずのないと思われていた相手に快勝したとのことでした。前日、私はその学年の審判をしたのですが、運動能力の高さにまかせて大量得点を挙げていたそのチームが、いったい我がチームから何点奪うのだろうと思っていたのでした。
 コーチをして選手を指導して育てて、それが面白くやりがいがあると感じるのは、こういう時なのですよ。
 強くて、速くて、大きくて.....そういう選手を揃えたチームが勝つのは当たり前。これは大人も子どもも同じ。だから世の指導者は懸命になって事前にその「当たり前」の条件を揃えようと必死になります。でも、どうなんでしょうね~?。「それで勝つのは当たり前じゃん」という条件を揃えて勝って、何が面白いんでしょう?、というのが私の考え。だって、それなら誰が指導者やっても結果は同じなんですからね....。
 能力の高い選手が揃っていれば、指導者は凡庸でも勝てます。しかし、選手の能力が凡庸の場合、それでいかに闘うかを工夫するには指導者の実力が必要です。