手柄だけ取ろうとするな

 中国初の新幹線「和諧号」に関して、中国政府がさまざまな特許の申請を検討しているのだとか。すでに報道で知られているとは思いますが、和諧号に導入された技術の多くは日本を中心とした海外からの指導によるものです。
 「確かに日本からは勉強させてもらいましたが、100%のマネではありません。少しは独自のノウハウも活用されていますから」というのが中国の言い分なのでしょうが、まぁよくもそんなことを....。

このニュースを聞いて、いやな経験を思い出しました。私が主宰する港北FCから離脱した者たちが、離脱した後に「我こそ本当の港北FC」と言い張ったことがあったのです。その中心人物は、私がその昔、プレーイングマネジャーとして奮闘していたころのトップチームの選手の一人でした。飼い犬に手を噛まれるとは、こういうことなのでしょうか。

港北FCというネーミング、港北区に拠点を置くクラブチームとしいうコンセプト、チームカラーをグリーンにすること、いずれ少年から成人までの一貫指導型の組織に発展させること、などなどチームの根幹となることは全て私と、片腕になって尽力してくれた同僚とで決め、グラウンドの確保、試合相手のアレンジはもちろん、試合でどのような戦術を用い、誰にどのような役割を与えて闘うかなどについても、私とその同僚が中心になって運営していました。もちろん、全ての練習でトレーニングメニューを設定し、実際に笛を吹いて指導をしていたのも私です。チーム創設期は、私はチーム内得点王でもあったのですよ!!。
 そんなチーム環境の中、一選手としてただプレーのみしかしていなかった人物が、後に「港北FCは実は自分が立ち上げ運営してきたチーム」と宣言したのですから、開いた口がふさがらないどころか、そのままあごが外れてしまうのではないかと思いくらい唖然としました。よくもまあ、ぬけぬけと。
 もちろん、クラブとしては断固、抗議をしたのですが、相手は馬耳東風を決め込み、横車を押し通し続けます。しかたがないので、法的な手続きを進めました。クラブの創設期からのチーム事情をよく知る外部の人たちにお願いし、港北FCの運営が事実上、誰によってまかなわれていたのか、法廷で証言してほしいとお願いしたところ、皆、快諾してくれました。持つべきものは友ですね。
 こうして証人を揃え、過去のミーティングの議事が記録されたノート、登録用紙などなど証拠を携えて、いざ、係争となっところで、相手が折れました。勝ち目がないと判断したのでしょう。彼らが改名することで港北FCの名称は私たちに取り戻されました。
 そういえば、その中心人物は選手時代、弱い相手には強気でも、いざ腰を据えて勝負という強敵には、からきし使い物にならなかったな~。決定機は全て外していたし、PKも一度も入れたことないし。そういう人生なのですね彼は、カワイそうに。
 ともあれ、耕す、種をまく、水をやる、手入れをする、そういう最も大切なことを人にやらせておいて、美味しい果実だけを取って「全部自分の手柄」としたい卑しい精神の持ち主には、誰も信用を寄せません。