講演会を終えて

 横浜市日吉台西中学校で講演をさせていただきました。中学生のご父兄のみならず、学区の小学校の父兄も集まってくれました。スポーツはもともと自主、自立の精神を内包するものである、という話、そしてそれはすなわち、文部科学省の中学生の指導要領で重視されている「自ら学ぶ力を養成すること」にもつながる、という話をさせていただきました。
 講演終了後の質疑応答では、理不尽な指導をする指導者に悩んでいる、という話が複数、出されました。指導が間違っていることは明白なのだが、子どもを預けている以上、人質を取られているようなものなので、抗議はもちろん、お願いすらできない、どうすればいいか、という話です。どこに講演に行っても必ずある話です。
 私は「それでも恐れずに話をしてみましょう」といいます。「そのことで、仕返しに子どもが理不尽な扱いを受けたとしても、それも教育の一つになる」と。もちろん、子どもにとっては、大人の論理で道理に合わない扱いをされることは悲劇そのものです。それでも、そういう時に「仕方がない。それが世の中だから」と流れに身を任せて我慢し、親が理不尽なことを容認している姿を見せて処世術を学ばせる、というのはどうかと私は思うのです。
 「間違っている」と思うことがあれば、勇気を出して主張する。もちろん、主張すれば必ず通るわけではないけれど、自分がどのように感じているかをきちんと相手に伝えることは大切、ということを親が自ら示してほしいのです。後先の損得を考えて、間違った事でもひたすら、ほとぼりがさめるまで我慢する、しかし陰では不平不満を言う、という姿勢は子どもに見せたくありません。自主自立の人間を育てることがスポーツの理想なのですから。
 だからといって、自己主張ばかりを押し通す軽薄なクレーマーになれ、と言っているのではありません。自己主張ではなく、道理、真理、というものを見抜くことがまず大切であり、真理だと思ったら臆せず、勇気を出して貫こうとすること、そんな姿勢の尊さを教育してほしいのです。
 交渉は抗議ではありませんから、相手の立場を尊重し、論点を整理し、また相手の言い分を聞くことも大切です。コミニケーション能力の高さが求められるのです(実際はすぐに感情むき出しにする人が多くて困りますが)。とても面倒だが、人の関係とはこうして築かれていくもの、ということを子どもに学ばせることも大切ではないかと思います。
 まず「怒鳴られているばかりだと子どもか萎縮するので、もう少し穏やかに教えていただけませんか」と言ってみる。言ってみなければ、相手は「怒鳴ることは容認されている」として気にかけることすらありませんから。