これでいいの?

 地元の少年サッカーでの一コマ。私が副審を務めた3.4年生の部の試合でのことです。
 一方のチームは監督の大声の指示に従い、DFの最終ラインを積極的に上げています。中盤をコンパクトにしてボールを奪え、という指示のようです。「へ~え9歳、10歳にそんなこと仕込むんだ」と見ていると、そのチームのDFは全員ハーフェイラインを超えて、それこそ「ガンガン」上がります。相手FWがオフサイドにかからない位置に残っているのに!!!
 こりゃ大変だ...この子たちこんなこと「当たり前」と思って覚えたら...と思っていると、その相手チームも同じくらい「こりゃ大変だ」(笑)というプレー。つまり、ボールを奪った後に、大きく空いたスペースにスルーバスを出せば一気に得点チャンスになるはずなのに、それをしようとせず、わざわざ細かくバスをつなごうとするのです。
 一方は異常なほど相手にスぺースを与えてまで「コンパクトな中盤」にこだわる。もう一方は攻略すべき広大なスペースがあるのに短くつなぐことにこだわる。どちらもサッカーの基本からすれば奇妙なことです。
 ハーフタイムに審判団が集まった時「あんな偏ったこと覚えさせていいんでしょうかね」と投げかけると、一人が「そういう主義なんでしょうから」と肯定的なニュアンス。「でも、それでは限定的なことしかできない子に育ってしまう」と私。するとその人は「うるさいやつだ」ってな顔して話の輪から外れていきました(笑)。
 よくありますね「これが主義です」というとても偏った指導をする人。徹底的に個人技で崩すという指導、徹底的にポゼッションにこだわるという指導...などなど。その指導者の好き嫌いはいいのですが、将来ある柔軟な子どもたちを「それしかできない」選手にしてしまうのはあまりに罪深いと思います。
 育成期の指導者に必用なことは、自分の美学を人の子どもを道具にして披露することではありません。指導とは「自分のため」にするものではなく、あくまでも主体は指導を受けている子どもたちです。ところが、監督、コーチとして絶対的な立場に立つと、そのことをすっかり忘れてしまうんですね。自分が勝利監督になることが目的になってしまう。
 そして、ただ「勝ちたい」たけではなく「自分の方法」で勝って「すごい監督」と言ってもらいたいと思うようになる。その自己愛(笑)のお供をしなければならない子どもたちは、実に不幸です。