結果とプロセス

 W杯を控えて各国代表選手が発表されています。日本と同様、誰を選んで誰を落とすかという事に関して、さまざま議論がかわされています。特にブラジルでは、ドゥンガ監督の選考に非難が集中しているようです。

ドゥンガ監督は徹底したリアリストです。W杯で勝つという唯一無二の目標のために、失点をしない守備力の強さと、心身両面でのタフさ、そして厳しい闘いを勝ち抜くための経験を重視しているようです。その結果、最近、やや衰えが見えるロナウジーニョや、ブラジル国内リーグで活躍している生きの良い若手の招集は見送られました。

このドゥンガ監督の選考に、守備偏重だとか、芸術的なプレーが期待できないなどの批判が集まっています。なにせブラジルでは、ただ勝つだけでは評価されません。見事な技術を披露し、美しい展開を見せつけ、ブラジルこそ世界一であるという内容を示さねばならないのです。一方、世界を股にかけて闘ったドゥンガは、勝負の冷徹な現実を知っています。勝つための確率が最も高いものが何かを熟知しているからこそ、批判覚悟で選考を決断したのでしょう。

結果とプロセス。とても難しい命題です。私たちは日本代表に何を求めるのでしょうか。もちろん、良いプレーが展開されてチームが勝つ事を見るほど面白いものはありません。しかし勝負は常に五分五分の確率です。勝ちは良くて負けはダメなのでしょうか。あるいは勝敗に関わらず、見るべきポイントがあるのでしょうか。ここから先は多分、一人ひとりの哲学の問題でしょう。

哲学? つまり、もののとらえ方、価値観の定め方です。例えば古来、日本人には正義や真理に対する謙虚な姿勢がありました。世俗な実益や物欲が見えても、敢えて真理だと思う選択をする。そうした美徳が、例えば拾われた現金入りの財布が落とし主に戻るなどの行為として、今にも伝えられていると思います。
そうした哲学の中では、結果と共に「どう闘ったか」というプロセスも見てもらえるかも知れません。

しかし昨今、昔に比べて勝ち馬に乗ること、勝ち組の傘下に入ること、強者の近くで虎の威を借りること、を選択する人が増えていると実感します。結果主義です。気持ちや考え方では生きていけないからと、徹底的に世俗な実利を求めます。そういう人は、日本代表が勝ったか負けたか、という結果にしか興味を示さないかもしれません。

ともあれ、日本代表は24日(月)韓国と対戦します。2月のアジア杯で対戦した時は、結果のみならず、内容も失望させられるものでした。あれから3ヶ月、修正された部分はあるのでしょうか。次回はその結果を受けてアップすることにしましょう。