東アジア選手権・日本vs香港

 2月の夜の雨、とても寒かったですが、試合の内容もとても寒かったです。オシム監督以来、「人もボールも動くサッカー」が実践されているようですが、確かに人とボールは動いているものの、対戦相手が怖がる場所になかなか人とボールが動いていかない。一番、得点が期待できる場面といえば、セットブレーでDFの闘莉王選手が上がっていったとき、というのでは情けない。
 岡田監督はサイドからの崩しにW杯で勝ち抜く活路を見いだしているようです。そのためか、日本の攻撃のエリアにボールが運ばれた時、日本の選手はゴールに直結する中央に際どいパスを通すことや、中央を突破するためのプレーをあまり考えようとしていないように見えます。すぐに横を向いてサイドに起点を作ろうとする。それは岡田監督の意図通りですから間違いではないのですが、何が何でも始めからサイドにパス、と決めつけているように見えるので、相手もサイドの守りを固めやすい。
 「まずスキあらば真ん中の突破を狙う」という姿勢があって、また、実際にそういうプレーをいくつか仕掛けていけば、相手のDFは最も大事な中央に意識を集中し、ポジショニングも中央のカバーを第一に考えたものになります。そういう仕掛けがあって初めて、サイドのスペースが開き、サイドに振るプレーが生きてくるのです。先発のツートップ、大久保、玉田は香港DFに中央を突破する怖さを感じさせていたでしょうか。いわゆる「クサビ」のプレーでセンターバックを引きつける動きがあったでしょうか。
 教わったこと、言われた事を忠実に実行することは、ある意味、真面目で素晴らしい。しかし、それだけでは限界があります。私は今日の香港戦の前半見ていて、02年W杯のトルコ戦を思い出しました。あの試合、先制点を取られてから、日本はポゼッションでは圧倒的に優位に立ちながら まったく突破というものができず、ただいたずらにパスだけが回って時間切れとなりました。あれから日本のサッカーは進歩していないということでしょうか。
 岡田監督を責めるのは酷でしょう。得点力不足の解消法として、入れ替わり立ち替わり選手が出入りしながら突破を狙うこと、サイドを攻略してDFとGKの間のスペースで勝負すること、というプランはまっとうな戦略だと思います。しかし、肝心の選手たちの応用力の弱さによって、それは相手にとって対応しやすい「型」になってしまっています。どんなにシェフの腕が良くても、素材の野菜や魚の鮮度が悪かったり、調理台の火力が弱かったりすれば、シェフは腕の振るいようがありません。どんな監督がどんな選手を招集したとしても、日本でサッカーをしてきた選手である限り、言われたことは真面目に遂行するものの、当意即妙、臨機応変な対応力を発揮できないのかもしれません。
 記者会見で岡田監督は「しっかりつなぐことを重視すれば前への意識が弱くなり、前に向かうことを意識すれば、急ぎ過ぎて雑なプレーになってしまう。そういう二つの要素のせめぎ合いの中で、少しずつ進歩を心がけている。チームは常に右肩上がりで向上できるものではなく、時には停滞することもある。それを我慢するのが指導者。ただ、この停滞は、より高いステージに上がるために必要な段階と信じている」と語っていました。
 本当は、代表レベルになってから、突破の意識が薄い、シュートがヘタだ、などといっても始まらないのです。それこそ、少年の世代から、得点を取るという事に関して、適切な環境作りをしていかねばならないでしょう。ただ力任せに大人用のゴールに向かって蹴って、子どもの手の届かない場所に蹴りこんだプレーを「ナイスシュート」などどと言って奨励しているうちは、また、小さめのグラウンドでキックオフシュートを連発させているうちは、子どもにタイミング、コース、インパクト、強さの加減などを瞬時に調整する本当のシュート力は育たないでしょう。