W杯本大会「大安売り」

 2026年のW杯本大会の出場国が48か国になるのだそうです。

 私が初めてW杯なるものを知ったのが66年のイングランド大会。当時の出場国は16か国(出場した時点でベスト16だった!!!)でした。当時に比べて、W杯も随分と間口が広がったものです。FIFA加盟国が200ちょっとだと思うので、何とW杯は5カ国に一つ程度は本大会出場を果たせる「簡単な」大会になってしまうわけです。

66年大会決勝、ハーストのゴールがラインを超えていたかどうかはいまだに議論されています。

 66年イングランド大会当時はわずか1だったアジア枠も、今度は8.5になるのだとか。日本代表としては、かつては本大会出場の可能性など「あり得なかった」W杯が、よほどのことがない限り出場を逃すことは「あり得ない」ものになるわけです。このように出場枠が拡大することはサッカー界にとって果たして「喜ばしい」ことなのでしょうか?

 FIFAの前々会長のアベランジェは「アジア枠、アフリカ枠を増やす」公約を宣言してアジア、アフリカ各国の票を集め、初の非欧州人として会長に就任しました。現会長のインファンティノもどうやら同じ作戦で会長になったようです。その結果、既に32カ国に膨らんでいた出場枠をさらに48まで広げたのです。

 現会長は出場枠を増やすことでTV放映権のさらなる増収が見込めるとしています。確かに、これまで一度たりとも本大界出場の可能性すらなかった国が続々と初出場となれば、その国民はこぞってTVにしがみついて視聴するはずです。特にインド、中国など桁違いの国民を抱える国が出場すれば、一カ国で数カ国分の視聴者が一気に増えることになります。

 確かに視聴者の絶対数は増えるのでしょうが、その一方で「質の維持」は望めるのでしょうか?これまでのように「ようやく勝ち抜いた」という感じで精鋭が集まっていた本大会と違い、「どこでも出られる」感じになってしまった大会では、特にグループリーグのレベルが下がることは間違いありません。優勝を狙う強国と弱小国との差は歴然です。

82年スペイン大会、エルサルバドルハンガリーに10失点しました。

 強国が「とりあえず勝ち点」を狙うだけのダレたプレーをする、あるいは初出場国が大量失点して「草刈り場」になる、といった試合が増える可能性が考えられます。いずれにしても「どう転ぶかわからない」「緊迫して面白い」といった感覚とは程遠い試合がいくつも出てくることでしょう。

 高嶺の花だったブランド品が「大安売り」されて誰でも手に取れるようになれば、いずれ希少価値がなくなり飽きられてしまいます。一流選手の技の競い合いこそがW杯の魅力だったのに、W杯の試合もそこかしこにある普通の試合とさほど変わらなくなってしまったら、精鋭の競い合いという醍醐味は薄れます。

 簡単に出られて、さほど高レベルとも言えない試合が多い大会となれば、W杯の持つ意味も大きく変わっていくことでしょう。