「ニホンらしさ」という枕詞

 日本代表の監督に森保一氏が就任しました。会見では「世代交代」と「日本人らしいサッカーの推進」という豊富が語られました。ロシア大会でビンチヒッターを努めた西野氏も、強調していたのは「日本人らしいサッカー」。この二人の監督に限らず、まぁ日本のサッカー関係者は誰もが皆「日本人らしさ」という概念が大好きです。W杯べスト8を目指すという話になると、誰もがまず「日本人らしさを活かし...」という枕詞をつけてからでないと話が前に進まない。
 では、今回優勝したフランスのフランスらしさって何ですか? 2位のクロアチアらしさって? そんなもの、あるんでしょうか?
 例えばフランスでいえば、ウムティティのような強いCB、パバールのような攻撃力のあるサイドバック、カンテのような守備力の高いMF、ポグバのような柔軟かつダイナミックな司令塔、グリーズマンようにゲームメイク、チャンスメイクにも関わり自ら得点も取れるFW、それに「速さ」という圧倒的な武器のあるエムパペ...といった選手たちのプレーは果たして「フランス人ならでは」なのでしょうか?同じくクロアチアモドリッチラキティッチマンジュキッチらのプレーは「クロアチア人ならでは」なのでしょうか?
 私は、W杯上位に進出するチームを支える好選手たちのプレーには、もう「~人らしさ」など関係ないと思っています。反対に、世界に通用する優秀な選手を数多く輩出できている国が、上位に進出できるのだと思っています。「~人らしさ」などには関係なく、世界に通用する速さ、強さ、上手さ、賢さを備える選手をどれだけ生み出すか、ということだと思います。
 ところで、「日本人らしい」という言葉と同じくらいの頻度で使われるのが「フィジカルではかなわないので」「体格では劣るので」という枕詞。確かにポグバを基準にすればその言い訳も成り立つでしょうが、ではカンテは?モドリッチは? あるいは3位ベルギーのアザールは? いずれも日本人並みの体格で十二分に「世界」と戦っています。モドリッチはMVPです。彼らの立ち位置をどう考えるのでしょう。
 つまり、最初から「かなわない」と自ら見切りをつけるのではなく、必要なことをしっかり鍛えていけばいいだけのことだと思います。日本選手の中でも「小さな」長友佑都がフィジカルを鍛え上げて人一倍、活躍していることが何よりの実証でしょう。
 「日本人らしさ」という概念を広げることは、「自分たちには世界に通用する長所がある」という何やら漠然とした希望を抱かせると同時に、「この部分ではかなわないので」という負けた時の言い訳を最初から掲げている行為に思えます。それは同時に「オレたちが目指すのはこういうサッカーだから」という固定概念の形成につながり、戦術や戦い方の汎用性を狭めることにつながっているのではないでしょうか? ポゼッションこそ日本人の生きる道、と言われていたころは、カウンターは「将来につながらない最悪の戦い方』でしたよね(笑)。
 いつまでも「日本人らしさ」なんていうあるかないかわからない漠然とした概念にとらわれていないで、速さも強さも巧さも賢さも、全て世界基準でやっていったらいいんじゃないですかね...。