スポーツの世界だけで通じる...ではもうダメ

 出るわ、出るわ、スポーツ界のパワハラ。もう今や日本のスポーツ組織って、どこもかしこも悪の巣窟みたいな印象になってますね。
 「相手を潰してこい」つまり「ケガをさせて本番に出場できないようにしてこい」と命令した日大アメフトの内田元監督。殴る、蹴る、暴言吐く、罵声を浴びせる、を日常として黄金期を築いた故・篠竹監督の教え子だけあって、篠竹イズムを復古させて栄冠を取り戻してたことから絶大な権力をふるいはじめたようです。
 言うことに盲従していれば、あの井上コーチのよう日大系列の仕事まであっせんする。お気にめさなければ試合に出さないだけでなく、日本代表に出向くことも禁止する。挙げ句の果ては「潰しにかかるから」と取り巻きから脅される。まぁヤクザさんの世界そのまま。
 
 ヤクザさんと言えば、ボクシングのゴッドファーザー(笑)山根元会長。こちらは強面と恫喝で周囲を威圧し、小賢しく「おいしいところ」を手にしてのし上がったタイプ。確かに政治的な悪知恵は良く働かせたようですが、しかし、何せ武器は強面と恫喝しかないので、筋道を通されて糾弾されると論理的な反撃能力はなく、屁理屈と意味不明なセリフの羅列。最後は連打を浴びてあえなくノックアウト。
 手柄をぜん~んぶ自分のものにしたいという、貪欲な栄誉欲にまみれていたのがレスリングの栄監督。自分のテリトリー外で誰かが結果をだそうとすると、あらゆる手を尽くして妨害。日本レスリング界全体の繁栄なんかこれぽっちも考えておらず、自分だけにスポットライトが当たればいいという考え。反省の態度を見せるべき大会で芸能人と昼食に出かけたり、帰りにキャバクラで遊んだりと、毛髪の乏しい頭には脳ミソもあまり詰まっていないことが判明(笑)、最後の「守り神」だったあの学長センセイの怒りをかって退散。
 同じように「栄冠を取るのは全部ワタシ」と悪魔の女帝ぶりを発揮しているのが体操の塚原強化本部長。メダリストになる可能性がある人材が見つかると、全部、朝日生命クラブに集結させて「ワタシの手柄」にしたい。そのためには「あのコーチ、そういえば昔、暴力振るってたよね」と、過去の記憶をほじくり返してコーチを糾弾「あんなコーチに習わずにウチにおいで」と強引に有力選手を手元に引き寄せようとする。
 なんでも過去にはボクシングの「奈良判定」と同じ「塚原判定」があったのだとか。こちらは毛髪はたっぷりの様子ですが、体中に脂肪もたったぷり(笑)。まぁ「全部ワタシ」という強力な欲が抑えられないように、食べたいものを食べたいだけ食べないと気が済まないんでしょうな。スポーツ指導者なんですから、まずダイエットして説得力ある体型にしましょうよ。
 段位はカネだ、と公表したのが居合道の世界。あーそうなの。じゃ、今、男性ファンの悪意を一手に集めているあのZOZOタウンのシャチョーさん、札束積んですぐに八段ですな。ビル・ゲイツなんか満場一致で十段、二十段になっちゃう。
 戦国時代はガチの殺傷技術が優劣の基準だった剣術。江戸時代に入って270年も戦乱がなくて、いつの間にか相手の殺し方より「理念」が先立つようになっちゃった。人格とか態度とか...。平成になって、それがカネの力になったよ、といったら、戦国の世にガチで戦って討ち死にした侍たちは、そさぞや嘆き悲しむことでしょう。
 日大はチア部の監督も悪魔の女帝ぶりを発揮していたことが発覚。こちらは衆目の面前で辱めるような言葉を投げつけ、集団のいじめを促すかのような態度をとり、選手を追い詰めました。「ワタシの機嫌が良くなることだけしなさい」という典型的な体育会系指導者の在り方。多かれ少なかれ、全国のいたるところで繰り返されている形。アメフトの件で日大が騒がれなければ闇に葬られていた一件。
 こうしたバカバカしい事件の数々は、競技で勝って実績を挙げたら組織運営でも実験を握ってしまう、という悪しき慣例によるもの。競技の実績には敬意を表しても、同じ人が組織の運営者として適役であるか否かは別の話。というか、そういう人間に運営の実権を握らせると大変なことになる、ということが今回の一連の事件で証明されたのでしないでしょうか。
 また、これらの事件では、当事者の告発から不正が暴かれていくという流れがつくられました。その大きなきっかけなったのは、アメフトの宮川選手の勇気ある会見です。何の権力も後ろ盾もない一選手が「正義」「道理」だけを武器に矢面にたったことで、世論が味方についた。「道理の通った正しいことを言えば、わかってもらえる」という潮流ができました。
 東京五輪を二年後に控えて、何かとスポーツの話題がメディアに取り上げられやすいという背景もあります。告発した側からは「今、このタイミングで是正しておかねば、ずっと悪しき状況が続いてしまう」という危機感も感じられます。スポーツ界は「スポーツ界だけで通用する論理」に満ちた世界。その特殊性、閉鎖性を改革していくために、今後も勇気ある「正義の告発」を期待します。