これまでやってきたこと...が間違いだったと認めよ!

 W杯が終わって間もなく一週間。もう何事もなかったかのような日々か続いていますが、とても気になることが一つ。プレーした選手をはじめ関係者、あるいはコメンテーターとして外野から評論する元~といった類の人たちの発言です。
 まずいくつか反省、批評が語られた後、最後に必ず一言「でも、これまで積み上げてきたこと、やってきたことは間違っていないと思います」と結びます。えええっ、それ、本気で言っているの???と心底、驚いてしまいます。
 出場5回目、という経験がありながら「比較的楽なグルーブ」になどと見くびって1分け2敗。しかも「後半弱い」と分析していた相手に後半2点取られ、10人の相手にも勝てず、最後は4点も入れられて惨めにグループリーグで敗退して、それで「やってきたことは間違ってなかった」ってどういうこと??? グルーブ最下位という結果で「間違ってなかった」という評価って、何を基準にすれば成立するものなのでしょうか?
 自分が見たいと思うところだけを見る。心理学ではこういうの「選択的認知」といいます。血液型Aの人はこうだ、と規定すれば、それに当てはまるものが見つかった時に「ほら、やっばりそうだ」とする。そうではない部分もたくさんあるのに、それは無視して、そうだと思う事が見つかったときに「当たっている」と大騒ぎする、あれです。日本代表に対する評論もこれに似ていますね。わずかにうまくいっていた部分だけ見て、無理矢理に「それでよかったのだ」と納得している感じ。
 こうやって「そうだ、そうだよね。日本のサッカーも結構、通じていたところあったよね」と傷をなめ合うようなことをしていては、毎回、W杯で同じ轍を踏むばかりです。1分け2敗なのですから、プロとしてはっきり失敗を認めなければいけません。
 「期待が大きかったことからくる心理的な問題」とか「ドログバの投入で相手の雰囲気変わった」とか「ギリシャが10人になったことでかえって攻めにくくなった」とか「コロンビアはもともと優勝候補」などと、もっともらしい「言い訳」はあるけれども、そうした要素に対する対策も含めて行うのがプロの強化というものです。強化にかかわつた人は皆、それで結構な額の給料をもらっているのです。言い訳をしなければならない状況になったということは、すなわち、失敗したということです。
 日本サッカー協会が日本代表の強化として「これまでやってきたこと」は間違っていた、とはっきり認識しなければ、パスはつながるのだけれど、ゴール前に進出してシュートしても入らない...というみっともない現象は、これまで通り4年後も8年後も12年後も繰り返されます。