別の形の「自分だけは」

 3月21日に「過剰反応はやめよう」と書きましたが、続いてますよ、過剰反応。私たちアマチュアの各種スポーツ大会が地震の影響で例年通りの進行が望めないことは当然で納得。しかし、納得できないのは、その後、それをどのようにリカバーしようかとする行動。
 私は、こういうときこそ前例にとらわれず、知恵を絞ってできる限りの努力をすべきという考え。しかし、頭の固いことでは類を見ないスポーツ関係者。「こういう時だから」という漠然としたムードの中で完全に思考停止の状態。発想力、応用力の低さの品評会。その源流にあるのは「自分だけが特例に見られる」ことにひどく怯える精神。
 余計な電力やエネルギーを浪費せず、安全を確保し、互いが都合をつけあって地震による中止分、延期分を消化する方法はいくらでもあるのですが、そんな「できる限りの努力」をして「右へならえ」をしていない自分を示すことが怖くて仕方がない様子。面倒なことを考えるより、ざっくりと中止にしてしまえば、誰も誤解されることなく事は簡単という、おおざっぱな思考回路。一人がミスをすれば「学年全体の連帯責任」と無差別に体罰を課す風習と似ています。
 横並びで自分を目立たない位置に埋没させていればよし、とする思考回路は日本のスポーツ界では純粋培養されていますからね。だから会議でもいろいろと打開策を提案するのは私一人。みなじっと黙っている。「上から言われたのだからしょうがない」という思想。思い切ってシュートする選手が育たないわけだ。