重版で考えました

 拙著「賢いスポーツ少年を育てる」が第三版を重ねることになったと出版元の大修館書店から連絡が来ました。物書きにとって、著作が版を重ねることほど光栄なことはありません。

 「賢い...」では、考える、判断する、をキーワードに、日本のスポーツ育成における問題点を採り挙げています。少年スポーツからトップアスリーツの競技まで、日本のスポーツシーンで見られるさまざまな「なんでかな~」という現象の根源に、考えさせない、判断させない、環境で育つことが関与しているのではないか、という論点です。
 先日TV中継されていたバレーボールの試合。統計データ基づき、ブロックの位置やレシーブのポジショニングを調整するのだそうですが、ともすると、自分の直感で「右」と思ってもデータの指示に基づき「左」に構えたものの、直感通り「右」に決められてしまう、などということも珍しくないとか...。データ分析は大切と思いますが、データは「使いこなして」こそであり、逆に人が「使われて」しまっては元も子もありません。
 サッカーのボールボゼッションも、あくまでプレーの主導権を握り、能動的に相手を攻略するための一手段。しかし、ポゼッション自体が目的のようになってしまい、「何が何でもパスをつなぐことがベスト」という偏狭な考え方になってしまえば意味がない。
 何事にも一生懸命、弛まず真面目に努力するのは日本人の素晴らしい部分ですが、時として、見た目に一生懸命であれば、努力の方向がズレていても「すがすがしい」「気持ちがいい」と許されてしまうということもあります。声が出ているとか、過剰な練習量をこなしているとか...。
 いずれにせよ、まだまだ「考えながら的確な選択をしつつプレーするための努力」は重視されているとは言えません。拙著にはもうすこし版を重ねてもらう必要があるかな....えっ...もっともらしい宣伝(笑)。失礼しました。