私がサッカーコーチを始めた約40年前に比べて、最近の子供たちは、とても聞き分けが良く、真面目だと感じます。ふざけたりせずに教えたことを指示内容を守って一生懸命やろうとする。
しかしその一方で、直接、指示していない応用的なこと、自分で創意工夫すること、になると、とたんに混乱してしまう傾向もあります。
家庭でも、学校でも、各種習い事の世界でも、特に学習産業の戦略に踊らされる中で、「君の追究すべき正しい答えはこれ」という、唯一正解追究主義に浸りきっているからではないか、と私は想像しています。
Aという課題が出されたら答えは唯一Bと決まっていて、CやDはあり得ない、という思考回路になっている。だから、何か課題が示されたら唯一の正解Bだけを探す仕組みだけが頭の中で動く。応用的な思考の結果であるCやDについては、「Cや Dもあるよ」と敢えて「教えて」あげなければ自力の発想では発見できない。
他者(コーチや教師や講師)から何かパターン化されたことを「習い・覚える」ことにかけては、とても優秀であるけれども、新しいことを「見つけ出す」「創る」「改変する」などという領域になると、恐ろしいくらいに稚拙なのです。
非常に極端な表現をするなら、今の子供たちは、血の通ったAIと向き合っている感じ。記憶の量は多く、ある事項を入力すれば、対応する出力が正しく示されるのですが、データに蓄積されていないものは一切、関知できない。ゼロか一かの積み重ねで計算する機械と同じなのです。
ところでAIといえば、古くは2001年宇宙の旅のHALやターミネーターのスカイネットのように、膨大な情報を蓄積したAIがいずれ人類に反旗を翻すときがくるのではないか、という恐怖がSFで描かれてきました。しかし、AIの研究で有名な国立情報研究所教授の新井紀子氏は、AIがヒトの能力を凌駕する「シンギュラリティ」は絶対にない、と断言しています。
新井教授はAIの限界の例として、AIに英語問題を説かせた場合の例をあげます。6つの▢の部分に下に示された6つの単語を正しく入れて文章を完成するという問題です。
Maiko:DId you walk to Mary's house from here in this hot weather?
Henry:Yes,I was very thirthty when I arrived. So ▢▢▢▢▢▢drink.
asked、cold、for、I、something、to
この問いに対してAIは以下のように▢を埋めて最後の一文を完成させました。
So cold I asked for something to drink.
この回答は文法的にはまったく間違いはありません。しかし「So cold 」つまり「余りに寒かったから」喉が渇いてメアリーの家に着いたときに何か冷たい飲み物をもらったんだ、という話は、私たちの常識で考えたらありえません。なので、人間なら、以下のように答えます。
So I saked for something cold to drink.
AIは事前に3300万もの膨大な英文を記憶していて、その中から頻度として最もよく使用されてる語順を選び出したのだそうです。つまり、この単語が使われた場合、頻度としてはSo cold...という順で進む確率が高いと判断したというわけです。
AIはデータ計算の結果を確率から出すだけで「意味」は理解できない。だから「意味」の理解こそが、AIが人間を凌げない領域であり、シンギュラリティがあり得ない理由だ、と新井教授はいいます。
新井教授は、教育では「意味」の理解、つまり読解力、理解力の醸成に最大の注力をしなければならないと警告します。恐ろしいことに、それらの力は伸び悩み、低下の兆候があることが調査で明らかになっているのだそうです。
スポーツを教えていても、確かにそれは実感するのです。私たち指導者は入力−出力の機械的反応を叩き込むのではなく、きちんと「意味」を理解させる指導をしなければなりません。